3人目がやってきた!

第56回 大きいおばあちゃん


95歳の「大きいおばあちゃん」


生物園
生物園に行きました。温室の中は緑がいっぱい

実家の「大きいおばあちゃん」が入院した。95歳。体は小さくて、身長140センチのナツのほうが大きいくらいだが、シュンたちにとっては曾祖母にあたるので「大きいおばあちゃん」と呼んでいる。これまでも何度か入院したことはあったが、いつも元気になって退院してきた。

ところが、今回の入院は今までと違った。病気はよくなったものの、入院生活で足腰がかなり弱り、退院後は寝室とトイレの往復がやっと、という状態。

小学生のころの思い出

蝶
温室の中は植物だけでなく、蝶もいます

大きいおばあちゃんは、母屋で一人で生活している。私が育った家だ。

木造の古い平屋。子どものころ、近所に鉄筋コンクリートの団地ができて、そこに住んでいる友達も多かった。友達の家に遊びに行くと、きれいでうらやましかった。

「ヨーコちゃんち、古くてきたない」と言われて悲しかったことを覚えている。小学生のころ、それまで薪で沸かしていた風呂がシャワーつきのガス風呂になったときは、本当にうれしかった。

顔を見せにいこうよ

大きいおばあちゃんが退院したあと、子どもたちを連れて実家にお見舞いに行った。私の両親は今は母屋の隣に住んでいて、実家へ行くと、そちらで過ごすことが多い。

温かいお茶を入れた湯飲みを持って、

「大きいおばあちゃんちに顔を見せに行こう」

と子どもたちを誘ったが、ナツはかたくなに、行くのを拒んだ。彼女の心が、何かを察してそうせずにはいられないという感じだった。アチャは「いいよ」と快く応じたので、私はシュンを抱っこして、アチャにお茶を持ってもらい、隣の大きいおばあちゃんちに行った。

一生懸命お姉ちゃんのあとを追います 人口池のまわり
一生懸命お姉ちゃんのあとを追います
屋外にある人口池のまわりを散策

なんでもない、ふつうの話

大きいおばあちゃんは、布団の横に置いてあるテーブルで、朝ごはんを食べている最中だった。以前は、寝る部屋と食べる部屋が別々だった。その移動が難しくなっていた。

大きいおばあちゃんがご飯を食べている間、私もテーブルのところに座った。なんでもない、ふつうの話をした。「アチャが1年生になったよ」とか「ナツもアチャもクラスで一番背が高いんだよ」とか「シュンは泥んこ遊びが好きだよ」とか。

大きいおばあちゃんは「そうか、そうか」と、子どもたちを見回しながら聞いてくれた。シュンは、探検でもしているかのように、大きいおばあちゃんの部屋を、自由に動き回っていた。

おたまじゃくし
池にはおたまじゃくしがたくさん泳いでいます。右手の真ん中あたり、しっぽの生えたおたまじゃくしがいるの、分かりますか

ああ、温かいお茶がおいしい


ぴかぴかの1年生
アチャ、ぴかぴかの1年生

アチャが運んでくれたお茶を飲んだおばあちゃんが言った。

大きいおばあちゃん「ああ、おいしい。温かいお茶がおいしい」

1杯のお茶をこんなにおいしそうに、喜んで飲んでくれるなんて・・・。ちょっと涙が出そうだった。

こんなふうに、ゆっくりおばあちゃんと話をしたのは、いつぶりだろう。いや、今までこんなふうにしゃべったことがあっただろうか。

実家に行けば母屋にも顔は出すけど、ゆっくり話をしたことなんてなかったんじゃないか。大学の寮に入るまでの18年間、一緒に暮らしたけど、そのころおばあちゃんとどんな話をしていたのだろう。ほとんど思い出せない。

大きいおばあちゃんが赤ちゃんを産んだころ


桜の木の下で
3年前ナツが入学したときも、この桜の木の下で写真をとりました

実は、大きいおばあちゃんに聞きたいと思っていることがある。大きいおばあちゃんの子どもは3人成人したけど(そのうちの一人が私の父)、本当はもっとたくさん子どもを産んだらしい。小さいうちに亡くなった子も何人かいたと父に聞いたことがある。

当時はどんなふうに子どもを産んだのだろう。家にお産婆さんに来てもらったのかな。どの部屋でお産をしたのだろう。おっぱいは何歳くらいまであげていたのかな。亡くなった赤ちゃんのこと・・・。

当たり前だけど、大きいおばあちゃんも「母」なのだ。私も「母」になって、初めてそのことを認識した。大きいおばあちゃんがどんなふうに子どもを産んで、育てたのか、いつか機会があったら聞いてみたいと思う。

「ねえねえに、だめって言われたから、がまんした」


公園のベンチで休憩中
休日は家族でウォーキング。シュンはこのベビーカーに乗るとたいてい寝ます(笑)。途中、本屋さんへ立ち寄り、それぞれ欲しい本や雑誌を購入。ただいま公園のベンチで休憩中

数週間後、大きいおばあちゃんは再入院した。ナツとアチャを連れて、病院へお見舞いに行った。今度はアチャが病室に入りたがらなかった。病院のにおいが気になるらしい。アチャの鼻を押さえるしぐさに気づいたナツは、廊下でアチャをそっと諭し、2人で病室にもどってきた。

腰の痛いおばあちゃんは、ベッドに横たわったままだけど、顔色がよくて話もしっかりできるので、安心した。アチャが頑張ってそこにいるのが分かるので、短時間でお見舞いを済ませた。廊下に出てからアチャに言った。

ヨーコ「アチャ、頑張ってくれてありがとう。大きいおばあちゃん、ナツとアチャの顔を見ることができてうれしかったと思うよ」
アチャ「うん。ねえねえに、鼻押さえちゃだめって言われたから、がまんした」

お茶を飲みながら・・・


2歳児クラスに進級
シュンは2歳児クラスに進級。今日から保育園バッグを背負っての登園。「いってきま〜す!」

帰り際、廊下においてあるポットと張り紙を見つけた。

「入院患者様 ご自由にお飲みください」

私は、大きいおばあちゃんの病室に急いでもどり、おばあちゃんの湯飲みをもって、廊下のポットのお茶を注ぎ、おばあちゃんの部屋にもどって、テーブルの上に置いた。

ヨーコ「廊下にお茶のポットがあったから、もらってきたよ。熱いから気をつけてね」
大きいおばあちゃん「ヨーコちゃん、ありがとう」

今度大きいおばあちゃんに会いに行くときは、また温かいお茶を持っていこう。私の分のお茶も持っていこう。お茶を飲みながら、少しゆっくり、ふつうの話ができればいいなと思う。


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著者プロフィール
著者
根本陽子(ヨーコ)。1997年、初めての子どもを妊娠し、自分の望む出産を求めて情報を集め始める。これがきっかけとなり、「お産情報をまとめる会」(下記参照) のメンバーとなる。助産師さんに介助してもらい、長女は水中で、次女は陸で、3人目は再び水中で出産。長女の出産を機に勤務していた研究所を退職。その後フリーランスで辞典の執筆、英語講師、日本語教師、中学校の国語の講師など「ことば」に関する仕事をいろいろして、現在に至る。家族は、片付け好きで子どもの保育園の送り迎えも引き受ける夫・トシ、お姉ちゃんらしくそこそこしっかり育つナツ(小学5年)、自由奔放に心のおもむくままに育つアチャ・(小学2年)、そして2005年5月に生まれたシュンとの5人家族。(写真は、アチャが赤ちゃんだった頃のヨーコ)
お産情報をまとめる会
わたしのお産サポートノート
神奈川県と東京都町田市の産院情報「わたしのお産」、第二の母子手帳「わたしのお産サポート・ノート」を編集した、お母さんグループ。「サポート・ノート」は自分のこと、おなかの赤ちゃんのこと、医師・助産師との対話などを書きつづりながら妊娠生活を送るための本。ヨーコはここで、自分自身の記録を大公開しつつ、出産に向かう(実際の書き込み欄は小さくて、だれでも簡単に記録できるものです)。