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第6回 部屋ではやっぱりシューズオフ


ドロだらけの靴のままソファーでジャンプ!?

カーペットそうじ
たまにカーペットそうじが入るけど、かなり汚れている

よそのお宅に招待されて、靴のまま足を踏み入れることに、まだ違和感を感じる。

ここスコットランドも、ほかのヨーロッパの国々と同じように、靴の文化。
『郷に入らば郷に従え』だと思って諦めようとしても、そう簡単にはいかない。

なんとか自分の家だけは土足厳禁にしているけれど、保育園や娘の友達の家で、ドロだらけの靴のままソファーを跳ねる子どもたちを横目に、“不衛生だな〜”と思っている毎日だ。

そんな抵抗感をまわりに気づかれないように振舞ってしまう自分もいるから、やっかいだ。

赤ちゃんを路上に寝かせて・・・

先月もこんなことがあった。

一緒にブランチをした仲間のスコットランド人ママは、生後4ヶ月のかわいい赤ちゃんを抱えていたのだが、レストランを出たところで、彼女は自分のスポーツシューズの靴紐がほどけていることに気がついた。

その瞬間である。結びなおす間抱っこしてるから、とこちらが手を差し伸べるまでもなく、彼女はごく自然に赤ちゃんを路上に横たえたのだった。

旅行カバンでも置くように、さらりと我が子を道に下ろす母!
私は思わず息をのんだ。

そして、この感覚の差だけはどうしたって、たとえ何年ここに住もうと、自分にはぜったいに越えられないであろうことを再確認したのだった。

何も言えない自分

そんな時でも、『あ〜あ〜汚れちゃう』と胸のうちではつぶやけても、相手に伝えるのはものすごく難しい。あまりに一瞬の出来事で、反応のしようがないというか。すでにショックで動揺しているし、加えて、自分はこの国での価値観や習慣についてとやかく言える立場ではないという思いが、喉まで出かかった言葉を呑む。

赤ちゃんが歩道に横たえられていたのは、ほんの一瞬だったはずだが、私にはとても長く感じられた。無言のまま、一体私はどんな顔をしてその場に立ち尽くしていたんだろう。。。

彼女が靴紐を結び終わり、我が子を抱き起こして立ち上がると、そこには何もなかったように先ほどまでの会話の続きが展開されていく。結局なにも言えなかった自分に、なんとも言えない居心地の悪さが残る。

越えられそうもない壁

道端にゴロリと寝そべる若者を見かけることもあるけれど、そんな時も、日本のジベタリアン(もう古い言い方?)なんてカワイイもんだとつくづく思う。ジベタリアンは、道に座り込むのは好ましくない行動だと知りつつ座っているからだ。

ジベタリアン
また見つけた!スコティッシュ版のジベタリアン

こちらの若者ときたら、あどけない笑い声をカラカラとたてながら牧歌的な雰囲気を漂わせて寝そべっている。まるで大草原にでも転がっているようだ。あまりにも自然すぎる。

そこに、決して越えられそうもない壁を私なんかは感じてしまうのだ。
言い換えれば、私って日本人だなーとあらためて自分の居場所を確認するときでもある。

その壁(違和感)こそ、文化の違いなんだと思うと、ある時は壁になり、ある時には魅力そのものとなる異文化を体験できるのは、苦労も多いけど貴重なことだと思う。

この『違和感』や『拒否反応』をいつまで保ち続けられるのだろうか。

外国人にとっての「麺をすする音」

日本人より日本語の上手な英国生まれのピーターバラカン氏が、以前どこかのラジオ番組で、数十年日本に住んでいても麺をすする音だけには体が反応してしまうというようなことをこぼしていたが、わかる気がする。

スコットランドに来て以来、4ヶ月が過ぎて、そんなことを少しずつ考えはじめたということは、逆にかなりの部分で、私たちの生活がスコティッシュ化されつつあるということの裏返しなのだ。知らず知らずのうちに、何かが自分のなかで変化していっている。

土足うんぬん以外のことは、さらにどんどんスコティッシュ化が進んで、いつのまにか日本人としての感覚が分らなくなってしまうんじゃないかと感じる今日この頃である。

そのひとつに、『食べ物』についてがある。
次回は、ここでの食事をみてみたい。


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著者プロフィール
木村章鼓(きむら あきこ)
英国在住のドゥーラ&バースファシリテーター
エジンバラ大学大学院 医療人類学(Medical Anthropology) 修士
約65カ国を訪問し、世界のお産に興味を持つ2児の母
「ペリネイタルケア」(メディカ出版)にて「ドゥーラからの国際便」を連載中
HP http://nomadoula.wordpress.com/