第9回 スコットランドに住み始めて10カ月。気づいたら、大学院生ママに
受験生だった、あの頃
振り返ってみると私は、昔から決して優秀な生徒ではなかった。
いや、中学までは学級委員をするようなタイプだったのが、高校に入って一気にブレイク。授業なんてそっちのけでいくつものクラブ活動をかけもちしながら文化祭に、体育祭に没頭し、そのうちに成績も下降線を辿り、ついに高校3年の進路指導では、第一志望校を先生に伝えるなり『悪いことは言わないから考え直しなさい』と諭されるまでになっていた。
当時私は、外国の人々の生活や価値観などに興味があったので、そのようなことを勉強できる学科を受験するつもりだったのが、担任のひとことに一時は『そうか、自分の力では無理なんだ。。。』とも思った。ところが、導入されたばかりの小論文の一芸入試制度のおかげで、奇跡的にも第一希望校の学部学科に拾ってもらうことができた。
哲学も、社会学も、よく学んだ
今になって思うと大学ではいろいろと学ばせていただいた。
哲学では近代哲学のショーペンハウアーや、ハイデッガー、ニーチェをかじり、エリアーデも面白く読んだ記憶がある。社会学も興味深かった。マックス・ウェーバーの説くプロテスタンティズムと資本主義の精神について何度もクラスで話し合ったことも懐かしい。
他にも、古代イスラエル史、人類学、理学部の授業なども選択科目でとってみたが、どの分野も身動きがとれなくなるほどの密度の濃さで、膨大な知の系譜を前に圧倒された。
イタリアにハマる
なかでも、宗教音楽と宗教美術に感動した。研修ということで、ラベンナのモザイクとグレゴリアン・チャントを聴きに、教授たちと一緒に私たち学生もイタリアを周遊できたことが、今となっては一番の思い出だ。
その旅がきっかけで、私のなかのイタリアはどんどん大きくなっていったからだ。イタリアにハマり、卒業論文もイタリア。アリタリア航空にも勤めた。
しかし結婚後、夫と供に海外を転々として、結婚8年目に娘を抱くことになる。そんな学業とは無縁となった一母親が、10年以上のブランクをへて、なぜに突然、学生に舞い戻ってしまったのか。それも医療人類学の。
娘の誕生から、知りたいことが見えてきた
理由は、やはり娘の誕生にある。妊娠以来、お産について知れば知るほど、社会が見えてくるというか、うやむやではなくしっかりと理解しておきたいと思うことが自分のなかで山積みになっていった。大学時代には漠然と知りたかったことがフォーカシングできてくると、同時に勉強し直したいという気持ちが高まる。
そこに、夫のスコットランド転勤である。最初こそ、もうすぐ3歳になる娘をスリングに入れてあたふたとしていたが、少しずつ生活にも慣れて進学のことをぼんやりとでも考えられるようになっていった。
大学院に入学できた!
週に数回の英語の語学スクールに通い始めた翌月、本当にダメもとでIELSというTOFELのような英語試験を受けてみた。力試しのつもりが、試験結果と願書を併せて大学院に申請してみると、なんとか入学のできる最低レベルであることが判った。
あわてて恩師に連絡をし、推薦状を日本から取り寄せ、すべての書類を整え終わったのが7月。幸運にも9月からの新学期にギリギリで間に合った。本当に、すべてに感謝としかいいようがないタイミングである。
娘はナーサリーに
娘は新学期にあわせて、家の向かいのナーサリーに週3日通うようになった。最初こそ泣いて嫌がるので、私まで泣けて泣けて仕方がなかったが、ひと月もするとお気に入りのお友達(キュートなベン君が娘のお気に入りのよう)ができたようで、今では笑顔で『いってらっしゃ〜い!』と元気よく手を振ることもある。
そして、これを書いている今は、ようやく1学期の論文提出が終わったところだ。(続く)
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木村章鼓(きむら あきこ)
英国在住のドゥーラ&バースファシリテーター
エジンバラ大学大学院 医療人類学(Medical Anthropology) 修士
約65カ国を訪問し、世界のお産に興味を持つ2児の母
「ペリネイタルケア」(メディカ出版)にて「ドゥーラからの国際便」を連載中
HP http://nomadoula.wordpress.com/