子育てママの休憩室

ままメルドットコムままメルスタッフのつぶやき > キヨのエッセイ「子育てママの休憩室」
子どもたちが2歳と5歳の頃に書き始めたエッセイです。
神奈川新聞とメールマガジンに掲載のものを中心に、載せています。
あっという間に流れていく日々、子どもたちの成長、周りのママたちの活躍ぶりなどを書き留めていきますね!

第1回【子育てだけはいや。でも、復帰する職場はなく……】

子連れ行き当たりばったり生活の始まり

こそだて−ママ【子育てママ】
小さい子どもをおんぶにだっこで、公園やスーパーに出没する人種。電車の中や公共の場では心ならずも傍若無人となり、冷たい視線を浴びがち。ときには子どもに無関心な夫に腹を立て、わがまま放題の子どもたちを鬼のように叱りとばす。が、よ〜く見るとその実態は、体力気力魅力全開の、人生の黄金期にある女性たち。

かく言うわたしの「子育てママ」歴は、5年前にスタートした。育児休暇明けに迎えてくれる職場はなく、かといって子どもに全てを捧げるほど献身的なタイプでもない。というわけで、子連れ行き当たりばったり生活が始まった。自分の手に余るようなことを思いついてはがんがん走り、二人目が生まれてもなんのその、家族と周りの人たちを振り回し……。

わたし自身が欲しい情報を発信するのだ

まず、上の子の妊娠中に、地域の産院情報誌「わたしのお産」を作り始めた。「産院選びの資料がない」という自分自身の不満から思いついたのだ。恐る恐る300部刷った第1号から、少しずつ成長して、昨年出した最新号は5000部が売り切れ間近。書店の流通に乗るようにもなった。

今は、他の書籍を次々と(!)発行すべく準備中である。大手出版社の雑誌や本には出ていない、わたし自身が欲しい情報を発信する、というのがモットーだ。

もう一つの情報発信は、インターネットのホームページで。テーマは、お産・不妊・子育て・環境など。通販やプレゼントもある。

お産や子育ての楽しさや情報を伝えたくて、何かを始める。ひとつ始めるたびに、仲間が増え、笑顔が生まれる。その折々の思いを、毎週ここに書いていきたい。子育てママ、その周りのみなさんも、ぜひ目を通してくださいね。

第2回【逃げるが、勝ち】

子どもに期待すること

昨年、東京・文京区で起きた幼稚園児の殺害事件のこ とを覚えていますか?

先日、同じ保育園に子どもを預けるママたちの集まり で、事件のことが話に上った。

「同じ母親として、信じられないよ」
「私たちの間で、何か『確執』が生まれるって、ちょっ と考えにくいよね」

私たちは普段、子どもの送り迎えの時に挨拶を交わす くらいだ。でも、年に数回の園の行事でいっしょに準備 をしたり、たまには休みの日に誘い合ってランチをする こともある。

みんなそれぞれに、生活の中に仕事や楽しみがあって、 そして子どもがいる、っていう感じだ。話す内容も、子どものことそっちのけだったりする。

子どもへの最大の期待は、「毎日元気で保育園に行っ て欲しい」ということ。 私たちには、幸い、おどろおどろしい悩みはない。

自分らしく輝いていたいよね

別に、働いていれば人間関係につまづかないと言いたいわけじゃない。子育てしつつ、その人らしく輝いている専業ママを、私はたくさん知っている。

それに、悩んでいるのは、なにも子育てママばかりじ ゃないのだ。リストラを苦にするサラリーマン、学校でいじめにあっている子どもたち、夫に不満を募らせる妻、 などなど。

いったい何が人を追いつめるのか? つまるところ、自分の居場所はここしかない、という「思いこみ」と 「がんばり」ではないだろうか。引っ越し、転園、転職などの手もある。「逃げるが勝ち」で、積極的に退散す る方がいい。

もちろん、楽なことではない。家族の了解を得るのは大変だ。お金や地位や評価を失うこともある。ひどく傷 つくかもしれない。

でも、少なくとも、人を殺めたり、自ら命を絶ったりすることは避けられると思うのだが。

第3回【仕事も勉強も子育ても】

公園に居づらかった

「逃げるが勝ち」と前回書いた。そこで今回は、いつもの公園から逃げた人の話をひとつ。

アヤコさんは、2才の男の子のお母さん。毎日近所の公園に通っている。

公園にはお砂場が2つある。なぜか、いつ行っても、それぞれのお砂場に決まった顔ぶれが固まって遊んでいる。なんだかメンバー制みたいで入りづらい。

子どもたちは、毎日判でついたようにスコップやプリン型を持参して、砂遊び。その周りでママたちは、子どものグチや噂話……。

入っていけない。いや、あまり入りたいと思っていない自分がいる。なんとかしたい、この毎日!

ホップ、ステップ、ジャンプ

働こうか。でも、資格も技術もコネもない。子どもをみてくれる人もいない。まず、夫に相談してみた。「私、仕事をしたい」

「家事と育児だけでも手が回らないのに、仕事なんてできるわけないだろ」

あー、「君が仕事を始めるなら、オレも少しは家事をするよ」なんてセリフは期待してなかったけど、やっぱりショック。

でも、彼女は子連れでできる仕事を探し出した。週に1度の冷凍食品の配達。「生活変えるぞ」と意気込んでいたとき、公園で会うママに「看護婦に復職するんだけど、あなたも来ない?」と声をかけられた。

看護婦をヘルプする仕事なら資格がなくても大丈夫、そのうえ託児所付き、という好条件。ホップ、ステップまで来ていた彼女は、一気にジャンプした。

それから3年。今は、毎日仕事と看護学校の2本立てで、その後ウチの子と同じ保育園に子どもを迎える。こんなに仕事や勉強がおもしろいと思ったのは、生まれてはじめてだとか。

アヤコさんは今、自分の畑を懸命に耕している。子育ては最高の肥料なんだと思う。(アヤコさんは仮名)

第4回【パパ入院(!)でてんやわんや。そのとき現れた助っ人は?】

長く心細い一日だった

新年のスタート早々、おみくじ大はずれのトホホ…の日々である。実は病院のベッドサイドで、これを書いているのだ。

わが夫が、突然の腹痛で入院したのが3日前。そして今日、手術とあいなった。

思えば長い一日だった。夜中に5才の娘が目を覚まし、「お腹が痛い」と言ったかと思うと、ゲボーッ。朝、シーツを洗濯して、下の子を保育園に預け、娘を抱いてタクシーに乗る。

一階の小児科で順番待ちの間に3階の内科に行ったら、医師が待ちかまえていた。いきなり手術についてのインフォームドコンセントを求められるという、シビアな場面展開(!)にとまどっている場合ではない。

1階と3階を往復しながら、売店で術後の腹帯などを買い、手術の承諾書を書き、やっと一通り終わったところで娘が「おなかすいた」。おにぎりを食べさせてから夫の病室に行く。

 しかし、ゆっくり話す間もなく手術室へ。あっという間に夫はドアの向こうに消えた。なんだか急に心細くなって、涙がとまらない。

天使の笑顔って、このこと?

そんなとき、強力な助っ人が現れた。同じ保育園に子どもを預けているマサヨさんだ。この病院に勤めているのは知っていたけど、まさか夫がお世話になる病棟の担当だなんて!

白衣の彼女がささやく。「大丈夫よ。何でも言ってね」あ〜、天使の笑顔って、このこと?

マサヨさんは仕事を終えると、ウチの娘の手を引いて保育園へ向かった。今夜は、合計四人の子どもたちのママをやってくれている。

で、私は「痛いよー」とウワゴトを言う夫が麻酔から覚めるのを待っている。

子どもがいると大変なことが多いけど、その分人の優しさに恵まれる。マサヨさん、いつかお返しさせてね。優しさのキャッチボールの中で、子どもたちを育てていきたいよね。

第5回【あー、あこがれの「ままちゃり」】

せめて駅まで自転車で行ければなあ

先週お騒がせした夫の手術は首尾よくいった。

しかし、今回ほど、車の運転ができればなあ、と思ったことはなかった。病院への往復や買い物のとき、子連 れで動くのは大変だ。せめて駅まで自転車で行ければ楽なのに……。

などと思う日曜の朝、ちょうど入ってきた自転車の特売チラシを見て、私は決心した。

「あこがれのままちゃりを手に入れるぞっ」

子どもたちも大喜びで、さっそく町内の大型スーパーへ、ゴー!

お目当ての自転車を買い、前と後ろに子ども用のシートをつけてもらう。ブルーの車体にシートの赤が映えて、とてもすてきだ。

さあ、いよいよ出発!

5才のエリは張り切って、後ろの座席によじ登る。後は2才のシュウヘイだ。ほら、どうぞっ。

子育ては、期待と裏切りの連続

「いや」
 えっ、なんで?
「こわいもん」
  こわくないよ。今日は走らないで押して行くから。
「いや。あるく」

えーっ。家まで歩けるわけないじゃん。途中で抱っこをせがむに決まっている。抱っこして自転車を押せるわけがない。

無理やり乗せようとする私に抵抗して、彼は思いきり自転車をキックした。

あ〜れ〜〜。私の力では支えきれず、自転車は後部座席のエリもろともスローモーションで倒れていった(エリちゃん、ごめん)。

もういや。さっき払った一万円札二枚は、いったいなんだったの?!

自転車を買ったらバラ色の日々が待っている、と思った私が浅はかだった。

子育てって、期待と裏切りの連続なんだよね。

<追記>あの騒ぎの中、優しく声をかけてくださったおじさまとおばあちゃま、地獄の中に仏を見た思いでした。ご親切は一生忘れません。

<追記2>後で指摘されたのですが、前後に子どもを乗せるままちゃりは道路交通法違反。やめといて正解です。

第6回【おねえちゃんは、大変だね】

ママなんか大っきらいっ

夫の入院が、はやくも3週目に突入して、知らず知らずため息のもれる夜のできごと。ささいなことから、5才のエリが荒れた。

「親の言うことは素直に聞きなさい」と攻める母VS「いいもん。勝手にするもん」と守る娘。

お互い一歩も引けない。母娘の赤い糸がビンビンに張りつめた。二歳のシュウヘイも、外野で何か判読不能の言葉を叫んでいる。

ついにエリは、押し入れの布団を全部引きずり降ろした。あっ、今度は布団たたきを握りしめている。

「ママなんか大っきらいっ。ぶってやるー」

「どうぞー。大好きなエリちゃんにぶたれるなら本望だわっ」

遠慮しながらコツコツ私の頭をたたいていたかと思ったら、最後におもっきり一発きた。

「いったーっ」

ママを独占したぞ

いやいや、このバトルいつまで続くのと絶望的になったころ、エリが言った。

「ママなんて気づいてくれないもん。エリだって抱っこしてほしいのに」

この一言で、張りつめた糸がぷつっと切れて、エリは私に抱きついてわーわー泣き出した。ごめんごめん、パパがいないしわ寄せをみんなエリに押しつけてるね。シ ュウヘイは手がかかるもんなあ。

そういえば、昨日の夜も絵本「アンナ」を読みながらそんな話をしたっけ。

アンナのお父さんは入院中である。お母さんは上の3人の子の世話に忙しくて、赤ちゃんのアンナは忘れられがち。と、いうくだりで、エリは「うちみたいだね」と 言っていた。

なんとかシュウヘイを寝かせて、エリとお風呂に入った。もう午後10時を回っている。ママを独占したぞという、満足げな顔だ。

「さっきけんかしたのに、もう忘れちゃったね」と、湯船の中でチューされた。お姉ちゃん、ご苦労様。

第7回【産院情報誌「わたしのお産」誕生秘話(1)

<地元に詳しい本がない>  どこで産んだの?

妊婦さんの最初の悩みは、どこの産院に御世話になろうか、ということだろう。とりわけ交通の便がよく、病院・産院の数が多い地域では、よりどりみどりで悩 んでしまう。私の住む横浜では、近頃話題の「自宅出産」でとりあげてくれる助産婦さんも何人かおられる。選択肢は多いのだ。

私がはじめて妊婦になったのは、6年前のこと。ご多分にもれず、私も産院選びに迷える子羊の中の一匹だった。とりあえず近所の産院に通い始めたものの、 「ここでいいのかなあ」という気持ちが消えない。一方で、お腹だけはみるみるふくれていくのであった。

そこで、まわりの先輩たちに「どこで産んだの?よかった?」と、聞いて歩いた。たいていは「よかったよ」か「まあまあ」という答えだ。でも、「何が?」 と聞くと、ご飯がおいしかったし〜、とか、おみやげくれたからとかいうあまり参考にならない答えだったりする。

よーし、作ってやる!

次に頼りにしたのは、書店である。妊婦向けの書籍は百花繚乱。雑誌も数社がそれぞれ月刊で出しているから、その情報量たるや半端じゃない。しかし、どこ にも地域の産院選びに直接役立つようなものはないのだ。そこで「よーし、ないのなら、私が作ってやる!」と、無謀なことを思いついてしまった。これが、産院 情報誌「わたしのお産」の出発点である。

そんな折り、ちょうど区の母親学級がスタートした。私は妊娠7カ月のはじめに、その頃通っていたアルバイトを辞め、母親学級に参加することにした。ここで 情報誌制作の仲間づくりをしよう、というもくろみもあった。

はたして、そこで思いもかけずおもしろい人たちとの出会いが待っていたのである。

第8回【産院情報誌「わたしのお産」誕生秘話(2)】

<つわもの揃いの妊婦学級>  仲間を作ろう

「赤ちゃんとふたりきりでうちに閉じこもっていたら、育児が楽しくありません。一緒に子育てする仲間をここで作ってください」

区の妊婦学級で、助産婦さんがこう切り出した。

へーっ、お勉強のための講座かと思ったら、そういう目的もあるのか、と意外に思ったのでよく覚えている。

「産院情報誌をいっしょに作ってくれる人を見つけよう」という、私の下心はすでに見抜かれていたのであった。

まず、地域ごとにそれぞれ十人くらいのグループになって、自己紹介をすることになった。私は「まだどこで産むか迷っています」と話した。すでに妊娠六〜七カ月 の人ばかりなので、たいていは出産をする産院を決めている。みんなは、どんな話をするだろう。興味津々で他の人の話を聞いたのだが、予想をはるかに超えるつわも の揃い!

みんな悩んで決めたんだ

「水中出産にチャレンジします」「歌を歌って陣痛を逃しながら産むつもりです」「今通ってる産院に満足できないので、転院しようと思っています」

他には、「安全第一で総合病院」を選択した人、もちろん「建物がきれいだから」とか「友だちのすすめにしたがって」産むところを決めた人もいる。みな、それぞ れに自分に合う産院を探したのだろう。バラエティーに富んだ自己紹介を聞いて、「そうか、みんな悩んで決めたんだ」と、妙にうれしかった。

それから数ヶ月後、最初の彼女は助産院のお風呂の中で女の子を産み、二番目の彼女は「翼をください」を歌いながら男の子を産んだ。三番目の彼女は、妊娠9カ月 で希望に合う産院を見つけて転院した。

で、わたし自身はどうしたと思いますか? その話は、また来週。

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著者プロフィール
西井紀代子(キヨ)。当ホームページ・ままメルを運営するママ・チョイス代表。1994年生まれのエリと1997年生まれのシュウヘイの母です。子どもたちが5歳と2歳のときにエッセイの連載を始めました。子どもたちに言わせると「ぜんぜんかまってくれない」面倒見の悪い母。まったくその通り、の私です。