子育てママの休憩室

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第9回【産院情報誌「わたしのお産」誕生秘話(3)】

<産院情報誌を作ろう>  お産はさまざま

どこの産院や病院で、どんなお産をしたのか、入院中をどう過ごし、費用はいくらかかったのかなどについて、赤ちゃんを産んだ人にアンケートをとり、それを冊子にまとめよう。これが、私が最初に考えた産院情報誌のプランである。

まずはアンケート作りだ。でも、どこから手をつけてよいのやら、と途方に暮れていたとき、「二、三年前に緑区(横浜市)周辺の産院情報を冊子にまとめた育児サークルがある」という情報が飛びこんだ。さっそく代表の人に電話をかけ、一冊譲ってもらった。うーん、よくできている。

「妊婦健診の時間は?」
三分診療を地で行くところもあれば、とことん相談に乗る医師もいる。

「立ち会い出産は?」
これも医師と本人の考え方次第。パパさんはお産のパートナーか、はたまたただの邪魔者か。

「浣腸や剃毛は?」
した人も、しない人も。

聞けば聞くほど、みんなの経験したお産はさまざまである。逆に言えば、選ぶことができるのだ。もちろん、母体や赤ちゃんの具合によっては、選べないこともあるのだが。

お産への希望を確認する

さて、母親学級での「勧誘」が功を奏して、三、四人の妊婦さんがうちに集まってくれた。先輩情報誌の質問事項を参考にしながら、お互いに知りたいことを出し合う。それは、自分のお産への希望を確認する作業でもあった。

私自身が大事にしたいことも見えてきた。なるべく薬やメスを使わず、自然に産みたい。しかも、夫立ち会いで。産んだ後は赤ちゃんとずっと一緒にいたい。母乳で育てたい、など。

結局、私は妊娠7カ月で、それまでかかっていた産婦人科から助産院に転院したのである。

第10回【産院情報誌「わたしのお産」誕生秘話(4)】

<パソコンに感謝>  まさかのネットデビュー

「わたしのお産」の創刊号は、上の子が一歳の誕生日を迎える頃できあがった。
妊娠中に仲間を募り、「お産情報をまとめる会」(略称おマトメ会)としてアンケート作りをしたものの、編集作業までしてくれる人はいなかった。私は、子どもの昼寝中に少しずつワープロ入力し、それを切り張りして版下を作った。

二号を出したのは、二歳の誕生日の頃。その年に購入したパソコンで編集した。操作を覚えるのに、労力の半分を使った。

半年後には、おマトメ会スタッフの夫君がホームページをつくってくれて、まさかのネットデビュー。

そして三号、四号と続く。今では、編集作業にEメールが欠かせない。スタッフが各家庭のパソコンで入力した原稿が、私のところに集まってくる。それを編集し、デザイナーに送信する。印刷所への入稿も紙ではなく、ディスクに入れて渡す。

ビデオデッキすら苦手なのに

アナログ編集で、しろうとが二百ページ以上の情報誌を作ったら、紙に埋もれて訳が分からなくなってしまうに違いない。それを避けるにはプロの手を借りなければならないから、外注費で倒れてしまっただろう。パソコンは、技術もお金もない私に、作りたいものを作らせてくれた。

ホームページも、ソフトを使って自分で作れるようになった。お産や育児をテーマに活動するサークルの人たちや、助産婦さんや医師らとの情報交換も日常的に行っている。 ビデオデッキすら操作できなかった私が!である。

一気に普及したパソコンに寿命が来て、一斉にゴミになったら? それに電磁波が体にいいわけないし。と、かつての私は考えたものだ。この頃は「ママのための情報をママが発信するのだ」という大義名分に、すっかり押され気味である。

第11回【産院情報誌「わたしのお産」誕生秘話(5)】

<情報誌を発行するには?>  へそくりからの出発?!

「地域情報紙を発行したい。ノウハウを教えて」と、私と同じ子育てママから、電話や手紙をもらうことがある。出し惜しみするほどのものでもないので、できるかぎりお話ししている。

一番多いのは、「情報誌作りの資金はどこから調達するの?」という質問だ。

グループで会費を集める、バザーをする、市や女性団体に助成金の申請をする、個人的にお金を借りるなど。いろいろな方法があるだろう。私の知り合いは、親しい印刷屋さんに頼んで、売れたら代金を払うという約束で地域の子育て情報誌を印刷してもらった。

私の場合、最初の費用はすべて私の貯金から出した。アンケートや贈呈本の送料、コピー代、封筒代、交通費、そして一番大きいのが印刷代だ。300部印刷するのに、7万数千円かかった。

アンケート回答者や御世話になった方に贈呈して、残り200部ほどを一部500円で販売するという予算を立てた。全部売れても赤字だか、売れ残ったらもっと悲惨!「えいやっ」と、私は清水の舞台から飛び降りて、300部の印刷を発注した。

こんな働き方もいいかな

ところがどっこい、本の山は一週間で影も形もなくなった。それから恐る恐る300部ずつ6回増刷した。刷るたびに少しずつ剰余がでて、それが第2号の制作費用のもとになったのである。最新の第4号は、初版5000部が売り切れて、昨年の暮れに増刷した。スタッフにアルバイト代程度を還元できるようにもなった。

第12回【産院情報誌「わたしのお産」誕生秘話(6)】

<学校のテストとは違う>  決めるのはあなた

「『わたしのお産』を読んで、いろいろな先生がいるんだとわかりました。通っていた産院の先生が、質問にきちんと答えてくれなくて不安でしたが、思い切って転院し、満足のいくお産ができました」

産院情報誌「わたしのお産」の読者から、こんなうれしいお便りをもらうことがある。一方で、「あのー、初めての妊娠でよくわからないんです。おすすめの産院を教えてください」という電話も、時々いただく。

こういう方には、私は産院探しの資料を提供しているだけ、決めるのは、あなたなのよ、という話をする。「誰かに決めてもらいたい」という気持ちで情報誌を手にする人もいるのだ。

「情報」は危険を孕んでいる

創刊号を出し、反応のよさに浮かれていた頃、ある方から電話をいただいた。産院の医師の対応が悪くて赤ちゃんに障害が残った、という趣旨で医師を訴える裁判をしている人だ。

彼女の指摘は次のようなものだった。
「わたしのお産」は、自分のケースのような、マイナスの情報をカバーしきれない。読者の中には、何の問題もない産院として、私が事故にあった産院を選び、医師を信頼しきって「お任せ」にする人が出るだろう。その結果また医療事故が起こりかねない。

これはショックだった。確かに「誰かに決めてもらいたい」人は、決めてしまえば、医師との話し合いを怠るだろう。これほど危険なことはないのだ。

生活の中でぶつかることは、学校のテストのように○×式で解決できない。「情報」を取り込んで、自分の頭で考え、妥協したり、こだわったりしながら結論を出す。その訓練ができていないと誰かに決めてもらいたいいうことになる。

確かに「情報」は危険を孕んでいる。でも、情報を閉ざしてしまうことはもっと危険ではないだろうか。

第13回【産院情報誌「わたしのお産」誕生秘話(7)】

<読者からの電話にドキドキ>  こんなはずじゃなかった

「あのー、『わたしのお産』を読んで産院を決めたんですけど……」
電話の向こうの声は沈んでいる。

ドキッ。産院情報誌に書いてある情報だけに頼って産院を決めると、「こんなはずじゃなかった」ということがあるのだ。「あんたの本を信じたのに、どうしてくれるのよっ」と怒鳴られるかも、とオタオタしながら次の言葉を待つ。

「健診の時は、なるべく薬や機械を使わないで自然なお産をさせてくれるって言ってたのに。実際は私が思い描いていたお産とは全く違うものになっちゃったんです。どうしてもっと真剣に産院を選ばなかったのかと考えると、ブルーになってしまって……」

お産の時、配慮のない医師の言葉に傷ついたことなどを話してくれた。産後4カ月、二人目のお産だそうだ。

傷が癒えていくといいな

「上のお子さんもいて大変でしょう?」と聞くと、意外な答えが返ってきた。

「いいえ。オムツを替えたりしてくれるんですよ」
わー、よくできたお姉ちゃん。うちの子は赤ちゃんにやきもちを焼いて大変だった。そう話すと、

「あっ、そういえばうちも以前より甘えてくるので抱っこばかりしています。それに、これから離乳食が始まると思うと憂鬱で」

上の子のとき、一日三回の離乳食作りに追われて大変だったという。私の周りでは、味付け前のおとなのおかずをつぶしたりして、気楽にやってる人が多いですよ、と話した。

産後4カ月はまだまだ大変なとき。体は疲れるし、落ち込むこともある。後数ヶ月で、うんと楽になるはずだ。お産で傷ついた心も、少しずつ癒えていくといいな。

彼女は最後に「少し気が軽くなりました」と言ってくれた。その一言で気が軽くなったのは、実は私の方なのだけど。

第14回【産院情報誌「わたしのお産」誕生秘話(8)】

<にぎやかに編集会議>  ベビーカーに本を積んで

妊娠中に企画した産院情報誌だが、作るときは一児の母になっていた。子育てと本作りの両立。これに頭を悩ませた。そこで考えた、当時の私の標語がこれ。

「子どもが昼寝中に家事をするな」

「子どもが昼寝中に家事をするな」

本が完成したら、今度は販売だ。注文が入るとベビーカーに本を積んで、子どもをおぶい、書店を訪ねる。売れた分のお金をいただいて、子どもを降ろし、「よかったね」と二人でにんまり。焼いもを買って、公園のベンチでおやつパーティーしたり、お砂場で遊んだりしたっけ。

「ママの都合にも楽しく付き合うべし」。これも標語だったな。

同じ釜の飯を食いながら

創刊号のときは、この調子でなんとかなっていたが、出版が本格的になるにつれ、時間が足りなくなってきた。子どもを預ける? でも、なんとなくうしろめたい。いろいろあったが、話せば長いのでまた今度。ともあれ、二歳の誕生日の頃には、元気に週三回、託児所に通っていた。そして、めでたく「わたしのお産」第二号を発行できた。

その後、公立の保育園に入園し、ほっとしたのもつかの間、第三号は大きなおなかで作ることに。そして、また子連れに戻った第四号。

我が家で開く編集会議の日は、狭いリビングに子どもが七、八人ひしめいた。その日は、上の子も保育園を休ませ、おなじみの子どもたちと遊ぶ。みんなでお昼を食べて、おやつを作って、気がつくと夕方。たいして話は進んでいない。しかし、そんな中でいいアイデアが浮かんだりする。そこで標語をもうひとつ。

「ママ情報の交換は、同じ釜の飯を食いながら行うべし」

第15回【産院情報誌「わたしのお産」誕生秘話(9)】

<診察室での意思伝達を>  出版社をつくっちゃいなさい

産院情報誌「わたしのお産」の創刊号を出した後、当時一歳の娘を連れて、自然育児研究所(東京・中野区)の所長で、助産婦の山西みな子先生を訪ねたとき、こんなことを言われた。

「これからは、お母さんたちが欲しい情報を、お母さん自身が発信していくのよ。出版社をつくっちゃいなさい」

え〜っ、そんな大それたこと!? と、あのとき笑い飛ばしてしまってごめんなさい、山西先生。今なら「はいっ」と元気にうなづくのだけれど。

その後、助産婦さんの研修会で、「わたしのお産」について話をさせてもらった。サービスを受ける側がどう感じでいるかということを、医療の専門家たちに伝える場を設けてくれたのだ。これこそが産院情報誌の目的でもある。

診察室には遠慮の虫がうようよ

診察室で医師や助産婦さんを前にして、自分の意思、疑問を伝えることは案外難しい。「薬の副作用を確認したかったけど、聞きそびれた」なんてことは、産婦人科に限らず、だれしも経験のあることだろう。

「インフォームドコンセント」(十分な説明を受けたうえでの同意)という言葉は耳になじんだ。しかし、まだまだ診察室には、遠慮の虫がうようよしている。産院情報誌を見ながら、医師への質問を整理したり、自分がお産に対して持っている希望が、決してわがままではない、と自信をつけたりしてほしいな、と願う。

実は、今もうひとつのアイデアをあたためているところだ。情報誌やインターネットでの情報交換だけでは、どうしても限界がある。大事なのは、なんといっても個々の医師と妊婦、患者とのコミュニケーションだ。記入しながらインフォームドコンセントをすすめていく、母子手帳のバージョンアップ版みたいなノート、作りたいなあ。

第16回 【産院情報誌「わたしのお産」誕生秘話(10)】

<ためになる話題を満載>  横浜にはママ情報誌がいっぱい

本音で語るママ発の情報を発信したい。そう考えたのは、私だけではなかった。

地域の子育て情報誌としては老舗の「ままとんきっず」(年二回刊・千円)がある。川崎市と横浜市の一部などが情報エリアだ。

横浜北部周辺が情報エリアの「ビタミンママ」(季刊・税込四百円)も、すでに五号が出た。 これらは、いずれも書店で販売されている。

お買い得感100%

一方、購読会員に、郵便で届けたり、手配りしたりするミニコミは、横浜市内にどのくらいあるだろうか。大小合わせれば、そうとうな数だろう。

子育て中にぶち当たる悩みをテーマにしたもの、アトピーの子をもつママの情報交換、地域のイベント情報を伝えるもの、などをよく見かける。母親たちの育児サークルが手作りしているものが多い。都筑区の「つづきっこパーク」のように、ママたちが編集して行政が発行するものもある。

私のお気に入りは、よこはま自然育児の会の「おにぎり通信」。ナチュラル指向のママたちが、専門家の意見を聞きながら作っているので、食べ物のことや病気に対する考え方など、参考になる記事が多い。隣の川崎市宮前区が情報エリアの「カンガルー通信」も、投稿がとても充実していて、読み応えがある。

それから、本当の豊かさや楽しさについて一緒に考えたいという「むいむいタイムス」。お産・育児・からだをテーマにした活動を紹介する「くまでつうしん」。これらは、横浜在住のママが全国に向けて発信している。

大手出版社の出産・育児雑誌と比べて、ママ発の情報誌(紙)は、興味をそそられる記事が多く、安くて、お買い得感百パーセント。おすすめですよー。

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著者プロフィール
西井紀代子(キヨ)。当ホームページ・ままメルを運営するママ・チョイス代表。1994年生まれのエリと1997年生まれのシュウヘイの母です。子どもたちが5歳と2歳のときにエッセイの連載を始めました。子どもたちに言わせると「ぜんぜんかまってくれない」面倒見の悪い母。まったくその通り、の私です。