子育てママの休憩室

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第73回【温かい記憶に満ちた子ども時代を】

「かっとなって」「切れて」

「かっとなって」「切れて」人に危害を加える、という事件が相次いでいる。

もし我が子が事件に巻き込まれたら・・・と、新聞を読むたびに不安になる。一方で、加害者の心の闇にも思いは巡る。どんな子ども時代を過ごしたのだろう?そこまで追い詰められてしまったのはなぜ?私の子育てはこれでいいの?

先日静岡県浜松市で開かれた、子育て講演会「こころをHUG(はぐ)くむ」(静岡県母乳育児を勧める会主催)が、その答えの糸口を示してくれた。松尾恒子さん(甲南大学教授・臨床心理士)の講演の後、松尾さんと私と参加者とで話し合いをするという企画である。

脳には、「感情」よりもっと原始的で本能的な「情動」を働かせる部分が存在するそうだ。「切れる」のは、その「情動」の揺れを鎮めることができないからだ。では、どうすれば自らの情動をコントロールできるようになるのか。

忘れていたことが思春期に再現

とりわけ大事なのは、生まれてから三歳くらいまでの時期だと、松尾さんは言う。泣いたとき、すぐにお母さんが慰めてくれた、抱いてくれた、という経験を繰り返すことによって、情動を処理する力を身につけていく。

逆に放っておかれれば、何をしてもダメだ、誰も助けてくれないという絶望感で、だんだん感情を表現しなくなる。その頃の記憶はすっかり消え去ってしまったかに見えるが、実は、これが思春期に再現されるのだ。

体の奥に刻まれた記憶が温かいか、冷たいかが、思春期以降の生きやすさを左右する。もちろん、三歳を過ぎても記憶を温かいものに塗り替えていくことはできるだろう。遅いということはないのだ。

温かい記憶に満ちた赤ちゃん時代、子ども時代を送らせてやりたい。松尾さんの講演の後、参加者とともにそう心に刻んだ。

第74回【虐待は人ごとにあらず】

日本でも増える兆候に

前回のエッセイで書いた、松尾恒子さんの講演会の先だって、彼女の著書「母子関係の臨床心理」(日本評論社)を読み返した。私が初めての子育てをスタートした頃に出版された本で、当時新刊の書評を見てすぐに購入したものだ。

その中に「欧米では、児童虐待が一般的な問題になっている。それに比べて日本の幼児虐待ははるかに少ないが、日本でも増える兆候にある」という趣旨のことが書かれていたのに気づき、はっとした。6年の間に、私たちは当時の欧米の状況に追いついてしまったと思えたからだ。その旨を松尾さんに話したら、彼女もそう感じているということだった。

日本でも、今や子どもに対する暴力、虐待、育児放棄…、このような言葉が新聞紙上に躍ることが珍しくない。

誰でも子育てができる思想と文化を

私自身、育児が得意な方ではない。体の奥から母性本能がコンコンと湧き出るようなタイプの人を、いつもうらやましいと思う。ついつい自分のことを優先して、子どもたちに寂しい思いをさせ、カウンターパンチを食らって慌てて穴埋めをする、という繰り返し。これが私の育児のすべてである。悪い事に、夫も似たり寄ったりなのだ。どこかで一歩踏み外せば、たちまち親子ともども転落の一途! 新聞紙上の「事件」は決して人ごとではないという思いがある。

こんな私でも「親」をやっていけるような育児の思想と、社会が子どもを包み込んで育てる文化が欲しい、と節に願う。

第75回【9歳の誕生日に】

親離れしたくねー

「泡が親離れしてるー」
沸騰直前のお鍋の中をのぞき込みながら、エリがおもしろがっている。
「親離れ? なんのこと?」
「ほらっ、見て見て! 泡が・・・・」
見ると、お鍋の縁から気泡が次々に離れて、お鍋の真ん中に向かって行く。へー、普段あわただしく晩ご飯の支度をしているおかーさんは、そんなこと気づきませんでした! 

 「それにしても、これが親離れとはねー」
と、私がコメントしたとたん、真剣にブロッコリーの房を切っていたシューヘイが「親離れしたくねー」とつぶやいたので、私もエリも大笑い。なにせ、5歳だというのに、おしっこもうんこも一人で行けない、「付いてきてー」「トイレの前で待ってて」の今日この頃なのだ。甘えたい時期なのかしらん。

実は今日、エリの9歳の誕生日パーティ。といっても、ささやかな家族だけのお祝いである。

メニューのリクエストは、スパゲティミートソース。なんだ、安上がりなやつだな、とはパパの感想。うん、まだまだ子ども、かわいいよね。で、彩りにブロッコリーを茹でましょうと、私はお湯を沸かし、その横でシューヘイが一生懸命房を分けているというわけ。子ども用の包丁なのだが、あーーー、危なっかしい。と思ったとたん、「あっ、切っちゃった」

血がにじんだ程度だったが、絆創膏を貼って、引退していただいた。手伝ってくれるのはうれしいんだけど、何かと手がかかるので正直言うと面倒くさい。

安心してね

今日、うどんカフェにランチを食べに来てくれたいつものお客さん。お母さんとシューヘイくらいの年の女の子の二人連れだ。

「あれ、今日は幼稚園はお休み?」と聞くと
「いえ、あんまりお天気がいいから、休ませたの。二人でお散歩でもいこうか、って」

うわー、いいですねー、と心温まる思いを抱きながら、一方で、私もこんなふうに育ててやればよかったなあ、という後ろめたさのようなものが頭をかすめる。いや、そうしたいのなら、今からだってやればいい。だけどきっとこれからも、自分のことで精一杯の日々なんです、私。

「親離れ」なんて発想は、もっともっと、くっついていたい、心が寄り添っていたい、っていうエリのアピールかな。エリの気持ちを受け止めてあげたいとは、思ってるよ、いくらできの悪い母だって。安心してね。

第76回【負け犬の遠吠え】

未婚、子なし、30代以上

今話題の本「負け犬の遠吠え」を読んだ。晩ご飯作りながら、片手に菜箸、片手に本。次々に飛んでくる折り紙の手裏剣(シューヘイは「しゅるけん」と言う)を、エイヤーとかわしながら。

著者の言う「負け犬」とは、未婚、子なし、30代以上の女性のこと。つまり、このメルマガを読んでいるあなたは、たぶん「勝ち犬」? というように、女を分類して面白がっている本なのである。血液型占いと通じるものがあるよね。

普段、普通に結婚して子どもを産んで育てている人とのお付き合いが圧倒的に多い私としては、あらためて、あー、お付き合いの幅が狭まってる、と気づいたし、それに、「負け犬」的立場の人が、私たち勝ち犬にどう迷惑をかけられているかなんてコメントは聞きたくても聞けないわけで、つまり、面と向かって言ったら「なんて失礼な」と思われることを、ちゃんと順序立てて説明してくれているのが貴重だ。

たとえば、どうして、照れるそぶりもみせず「あなたも絶対に産んだ方がいいと思うわ」と自分の生き方を他人にも勧めることができるのかと思う、という趣旨のことを書いている。

子育てに依存する

また、アディクション(依存症)の話が身にしみた。負け犬の人たちは、歌舞伎アディクション、旅行アディクション、手芸アディクションなどなど、趣味にのめり込む人が多いのだとか。一方で、<結婚して子どもを産んだ人というのは、いわば「子育てアディクション」。>←引用

はー、それ、私です。突然思い出したのだが、夫と出会う少し前に小説の学校に通っていて、そのときたった1つだけ小説を書いた。主人公は30過ぎの独身女で、生き甲斐となる仕事はなく、キャリアも技術も持たず、これといって誰かの役にたっているわけでもない、あー、不倫で結婚できなくても子どもだけ産んでみたい、子育てしか私にとって手応えのある仕事はないかも・・・・などという心境になる。まさにそれは、私だった。つまり、子育てアディクションにあこがれ、「勝ち犬」になったわけ。

そして、今こうして、子育てを切り口に何もかも語りたがっている私。

でも、みんな大なり小なりそうだよね。成り行きで生きてるんだもん。結婚しない人も、子どもを産まない人も、欲しくてもできない人も、何度も新しい恋愛をする人も、そして子育てアディクションな私も。いいじゃない、依存しても。ただ、ちょっと身をひいて、自分をみたり、人をみたりすることは必要かなと思った。以上、お母さんの感想文でした。

第77回【卒園、そして………】

今日は鯖の竜田揚げ

いよいよ明日は卒園式、という日。お昼前に保育園にお迎えに行った。

子どもたちは口々に歓迎してくれる。
「シューちゃん、ママだよ」
「ねえ、給食食べてく?」
「うん、だって今日、鯖の竜田揚げでしょ。好きなんだもん」と私。
「プール行くから早く来たの?」

そうそう、よくご存じ。週に一度、早めに仕事を切り上げてシューヘイを迎えに行き、一緒にお弁当を食べてから、スイミングスクールに連れて行くのが恒例となっている。

子どもたちのおしゃべりの輪に入る、あのウキウキした感じが好きだし、それに、給食のおかずを少し分けてもらうのも密かな楽しみ。週に一度のこの日は、私にとっても、ちょっと特別な日なのである。

実を言うと以前は、習い事なんて、まだまだ早すぎる、と思っていた。2年前のことだ。
気が弱くて、お友だちとのけんかが苦手、いつも人に遠慮している、そんな我が息子に、一つでも何か自信の持てるものを見つけてやりたい。お風呂に平気でもぐって遊ぶシューヘイには、水泳がいいかも! それで、スイミングスクールに通わせることにした。

いつまでも好きだよ

お昼を食べ終え、みんながパジャマに着替えはじめる頃、保育園を出発して、送迎バスの停留所に向かう。「シューちゃーーん、頑張って〜」という黄色い声に送られて。

自転車の後ろにシューヘイを乗せて、坂の多いこの町を、こうして毎日走った。保育園の送り迎え、うどんカフェに子連れ出勤するときも、それからスーパーへの買い物も。
前にシューヘイ、後ろにエリを乗せていた時期もあった。エリが私の自転車を降りて独立(?)し、あー軽くなったと思ったら、いつの間にかまた重くなっている。

背中越しに、突然シューヘイが言う。
「ぼくのすごいところ、知ってる?2つあるよ」
「うーん、プール?」「ピンポーン」
「もう一つは…虫博士?」「ピンポンピンポン」
「ねえ、ママのこと、いつまでもいつまでも好きだよ」とも。

卒園を前に、変わってきた自分、変わっていく自分を意識しているのかな。

そういえば、担任の先生が連絡帳にこんなことを書いていた。
「この数日、子どもたちは卒園を意識して、とても濃密な関係です。ツーと言えばカーみたいな。子ども同士も、保育士とも」

小さな胸に言葉にできない何かが去来しているみたいだ。さて明日は、5年間通った保育園の卒園式。もっと濃密な思いを交わす一日になるのだろうか。

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著者プロフィール
西井紀代子(キヨ)。当ホームページ・ままメルを運営するママ・チョイス代表。1994年生まれのエリと1997年生まれのシュウヘイの母です。子どもたちが5歳と2歳のときにエッセイの連載を始めました。子どもたちに言わせると「ぜんぜんかまってくれない」面倒見の悪い母。まったくその通り、の私です。