第13回 娘(3歳)とともに走った大学院生活。ようやく卒論、完成!
卒業論文のテーマは・・・
ようやく卒論が終わった!どこまでまともな学位論文として仕上がったかは別として、伝えたいメッセージだけはなんとか表現できたかなぁ。
今回の論文のテーマは、‘近代化による出産の医療化が生まれてくる赤ちゃんと産む女性にどのような影響を与えているのか’について。ミシェル・オダンのプライマル・ヘルスをバイブルとし、ドゥーラの資格を持つ者としては、出産とはまさに、産む女性にとっても、見守る側にとってもスピリチュアルな体験である。
お産のサポート、大切なのは何?
お産においてもっとも大切なサポートのひとつは、産む本人が自分らしくいられる時空間を創る手助けをする、まわりの母性的な在りかた。
そのような考えを裏づけるような論文が、助産学の進んでいるここUKには山ほどある。ちょっとやそっとでは到底学びきれない、どこまでも深淵なお産の医療人類学であるが、この地で今回集中的に学べてほんとうにラッキーだった。
おっぱいの香りがそそる?
気づくと娘も3歳半になっていて、時間のたつのはなんて早いものと思う。
気になるおっぱいはそろそろ卒業‘気味’だが、卒乳するにはまだほど遠い。
「もうご飯がいっぱい食べられるようになったから、おっぱい飲まなくても大丈夫じゃない?」と私が言うと、
「でも、お母さんのそばにいくと、おっぱいのいい匂いがするから飲みたくなっちゃうの。匂いがなくなればいいんじゃない?」と私を見返す。
うう〜ん唸ってしまう。3歳半ともなると相手もかなり手ごわい。おっぱいの香りがそそっているせいだって?おっぱい、もうほとんど出ていないはずなんだけどなぁ。。。
ありがたかった、娘の伴走
でも、しょうがないとも思っている。私が大学院にいる間、娘はおちこぼれママと息をしっかり合わせてほんとうによく伴走してくれたので、おっぱいくらい好きなだけ飲ませてあげたい。
大学図書館でお絵かきをしながら待っていてくれたり、提出が間に合わないのではとヒヤヒヤする私に、「おかあさん、勉強だいじょうぶだからね!」と来る日も来る日も励ましてくれた。お天とう様が一日ほんの数時間しか照ることのないエジンバラの真冬にその声がけがどれほどありがたかったことか。
正直、入学時には、娘にここまで支えてもらうことになろうとは、夢にも思っていなかった。
子どもの‘こころの本能’の芽生え
夫からの激励ももちろんありがたかったが、娘の言葉や労わりの態度は、彼女がまだ‘ちいさい人’な分、痛いほどわたしのこころに沁みこんで、今はそこから新たな親子関係が芽生えつつある。
「おかあさんだいじょうぶだよ」
そんな風に、親に伝えたくなったり、隣りにいる人を励ましたい、という子どもの‘こころの本能’の芽生えに触れ、なんだか大発見しちゃった気分である。このびっくり感覚こそが親子関係の転換期なのだろう。
親として一方的に世話を焼くばかりの時代から、お互いに支えあえる新しいステージへと、今、刻々と突入しつつあるということでもある。
親って、大人って、いったい何?
このような日々の‘大発見’は、お産のような一大スペクタクルではなくても、今の私にとってお産と同じくらいにダイナミックな出来事だ。育児は3年でひと区切りとは言うけれど、なるほど、こういうことだったのかー!と思う。肩の力もいい具合に抜けてきている感じ。
でもって、人として、まわりを励ましたい、支えたい気持ちって、なにが起源で、どこからこんな風に自然にあふれんばかりにわきあがってくるのだろう?
親って、大人って、いったいなんなのだろう。。。?
どの子もひとりひとり、みんな神さまからのメッセンジャーで、自分自身で生まれてくる家庭や親を選んできてくれた。このごろ今までに増してそう思う。
やっぱり大人は子どもたちが送るメッセージにひとつひとつ気づいていくだけなのかも。
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木村章鼓(きむら あきこ)
英国在住のドゥーラ&バースファシリテーター
エジンバラ大学大学院 医療人類学(Medical Anthropology) 修士
約65カ国を訪問し、世界のお産に興味を持つ2児の母
「ペリネイタルケア」(メディカ出版)にて「ドゥーラからの国際便」を連載中
HP http://nomadoula.wordpress.com/