第14回 卒業。ここが、私のスタート地点
大切な日となった、卒業式
2008年がはじまり、ひと月余りが過ぎた。
心配していた学位論文も無事通り、年末の卒業式では、娘と夫に手を振ってもらいながら、そして仲間と握手を交わしながら、人生にまたひとつ大切な日が加わったことを実感した。
‘ここはあくまで私のスタート地点’
式後そう思った。学位をとったからといって動かなければ何も変わらない。今この瞬間に困っている妊婦さんがいることを思うと、何から始めようと気持ちがはやる。
産みゆく女性と赤ちゃんのために
産みゆく女性たちのために、そしてこの地球に生まれてくる赤ちゃんのために、どう具体的に動けばエンパワーメントにつながるのだろう。。。
日本の産科医療の抱える厳しい現実を受けとめつつ、医療人類学で学んだことをこの先どのように社会にお返ししていくのか、今も考え続けているところだ。
ティータイムを通して、こころのひもをほどく
一方、ここエジンバラで‘らくだのおやこ’というネーミングのお母さんの集いをはじめて1年以上がたった。
ゆったりとしたティータイムを通して、外国暮らしでなにかと負担の大きいお母さんに、少しでもこころのひもをほどいてもらいたい、そんな想いで続けてきた。
テーマは「こころを癒す、からだに聴く」
今ではさらに内容を掘り下げて、‘産前・産後のこころを癒す、からだに聴く’をテーマに、エジンバラのバース・リソース・センターで、オリジナルコースも開講している。
これまで学んできたことと、AIMS(お産における医療消費者センターのような組織)の創始者の一人でもあるエドワーズ博士から、じきじきに教わってきたことをベースに、異国で産みゆく日本人女性に知っておいてもらいたいこと、用意しておくといいことなどを、毎回ぎゅっと凝縮してお届けしているものだ。クラスできちんと伝えるには事前の勉強が必須で、自分にとってもためになっている。
集まって、ひとつのことをシェアいていく自空間が必要
それにしてもあらためて思うのは、ネット上のヴァーチャルなつながりだけでなく、産みゆく女性たちが集まり、笑い、声のトーンをお互いに聞き分けながら、何かひとつのことをシェアしていく時空間は、とても大切だなぁということだ。
エジンバラ版、わいわいがやがや井戸端会議みたいなものをこれからもみんなと一緒に創っていけたらうれしいなあ。
安産には、こころとからだの準備が必要
さて、ドゥーラ(産婦とその家族を支援する女性、というような意味。こちらで資格を取得しました)としては少しずつ経験を積んでいるところだ。現地の助産師さんとともに実際の出産に立ち会うことが増え、ますますお産とは未知のもの、奥深いものだと痛感するようになった。
からだの準備だけでなく、こころの準備が安産には何よりも大切になってくる。精神と肉体、その両方がバランスよくゆるむ方向へ導かれていくような妊娠期の過ごし方こそが、いいお産への鍵となる。
ドゥーラという存在
そのなかで、ドゥーラという存在には、産む本人にあった産み場所、産み方探し、エクササイズや暮らし方そのものを、本人が自分の力で見つけていくお手伝いをする役目を与えられている。
さらには、相手と上下関係をつくらず、直接の出産、産後までをも見守る‘ちょっと頼れるとなりのおばちゃん’的役割もある。このようなドゥーラの存在によって、帝王切開率が2割低下するというデータも読んだことがある。
次回は、私の師でもある、ドゥーラのニコラのことから書こう。
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木村章鼓(きむら あきこ)
英国在住のドゥーラ&バースファシリテーター
エジンバラ大学大学院 医療人類学(Medical Anthropology) 修士
約65カ国を訪問し、世界のお産に興味を持つ2児の母
「ペリネイタルケア」(メディカ出版)にて「ドゥーラからの国際便」を連載中
HP http://nomadoula.wordpress.com/