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第17回 祈りの道‘エル・カミーノ’の終着点、サンチャゴの大聖堂の前で

「ボン・カミーノ!(よい巡礼を!)」

復活祭のパレード
レオンでは、ちょうど復活祭のパレードが行われていた。とんがり帽子が一見かわいらしい、でも楽団の奏でる旋律はどこまでも厳か

いよいよ祈りの道、エル・カミーノに直接沿って走りはじめた。

巡礼者を実際に見た時は、感動して思わず車を路肩に寄せ、その後姿をカメラにおさめた。男性は、雨がっぱをはおり、木の杖を右手に握って歩いていた。大きなバックパックに吊り下げられたホタテの貝殻が揺れている。典型的な巡礼者のいでたちだ。

ハカ近郊にあるサン・ホアン・デ・ラ・ペーニャの修道院で、私たち‘巡礼者もどき’も、さっそく貝の表面に十字の刻まれた巡礼者の印を手に入れて、バックパックに吊るしてみる。

それ以降、レストランや教会で、貝を見た地元の人々や巡礼者たちから、「ボン・カミーノ!(よい巡礼を!)」と声をかけられるようになった。

赤ちゃんを身籠れますように、という祈り

聖水をそそぐ器もホンモノの貝
放射線状のラインがシンボリスティックな貝は巡礼の目印。こうして聖水をそそぐ器もホンモノの貝に銀細工をほどこしたもの

その昔、子どもがいなくて悲しんでいたスペインの王妃がその場所を訪れたとたんに赤ちゃんを授かったという不思議な言い伝えの残るバシリカにも足を運んだ。

身籠れますように、そう女たちが時代を越えて祈りを捧げる場所は世界中にあるが、このバシリカも、赤ちゃんを身篭るということは、人智を超えた領域だとあらためて感じさせられる、静寂と慈悲のエネルギーに満ちていた。

青空を仰ぐ人たち、抱き合って号泣する人たち

ホタテ貝が光の放射状とだぶっているデザインの標識
ホタテ貝が光の放射状とだぶっているデザインの標識が、約数十メートルおきに立っている。巡礼者が道に迷わないための大切な目印

そうやって、巡礼街道の要所に立ち寄りながら、通りすがりの教会と修道院でひと息をつきながら、そして最後には、前回の冒頭にも書いたとおり、ひどい吹雪に見舞われながら、10日ほどかけてサンチャゴの街に到着したときには、「ついに来たか。。。」としみじみ思った。

車でさえここまで感動できるのだから、いわんや徒歩だったとしたら、しかも2、3ヶ月かけて全行程を歩いたとしたら、どれほどの感動に包まれるのだろうか。

サンチャゴの大聖堂の前では、多くの巡礼者たちが木の杖を投げ、石畳の広場に転がって青空を仰いでいた。女子大生とおぼしき3人組は、抱き合って号泣している。みんなそれぞれに‘想い’があって、人生のどこかの地点でこのエル・カミーノを歩くことに決めた人たち。

彼らは、なにか大切なものを見つけられたのだろうか。

まずは相手に飛び込んで、ともに体験する

道端で休む巡礼者たち
疲れ果てて道端で休む巡礼者たち。こういう姿を一日何回も見かけた

想い、ということだけをとってみれば、私だってそうだ。

サンチャゴへの道程を肌で感じて、宗教を越えたところにある人々の祈りのエネルギーを体感できればと思っていた。

多神教の島国からきた私にとって、基本的に一神教の西洋社会には、なかなか理解のできないことが多い。しかし、短い旅であっても、こうしてエル・カミーノの一部をなぞらせてもらい、その大元である彼らの世界観というか、宇宙観に触れさせてもらうと、目の前の巡礼者たちを通して語りかけてくるものに純粋にひれ伏したい気持ちが芽生える。

宗教や文化、言葉が異なっても、まずは相手に飛び込んで、ともに体験するダイナミズムは、私のなかの西洋社会に対する疑問や謎を、ある意味、一気に吹き飛ばしてくれた。

そのあとに私が見つけたのは、自らを大いなるものにゆだね、静かに祈る人間の姿は、最も美しい私たち人類のカタチだという、ごくささやかな、でも大切な再確認だった。


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著者プロフィール
木村章鼓(きむら あきこ)
英国在住のドゥーラ&バースファシリテーター
エジンバラ大学大学院 医療人類学(Medical Anthropology) 修士
約65カ国を訪問し、世界のお産に興味を持つ2児の母
「ペリネイタルケア」(メディカ出版)にて「ドゥーラからの国際便」を連載中
HP http://nomadoula.wordpress.com/