第23回 スコットランドからロシアへ転居。そして現在はアメリカに!
サハリンでの刺激的で、不自由な生活
今日は2011年5月27日。
私たちの現在住むテキサス州ヒューストンでは空が真っ青に輝いている。
最後に前号、第22回をスコットランドより書き送ってから一カ月後に、夫に思わぬロシア転勤が入り、長い空白をつくってしまった。再び今度は昨秋から住んでいるアメリカから連載を続けていこうと思う。
モスクワのようなロシアの大都市と比べると、サハリン滞在は毎日が冒険に満ちていて、異邦人であることを絶えず意識できる刺激的な一年であったけれども、同時に、振り返ると、結婚してからの私の人生で、最も行動の自由を失っていた一年間でもあった。
住んでいた家はサハリンの外国人居留区の中にあり、敷地の3か所に設けられたゲートには24時間、こわ面の警備員がいる。どこへ行くにも、何をするにも、通行許可のパスがなければ動けない。その不自由さが精神的に重たかった。慌ただしく別れを告げたスコットランドが懐かしくてたまらなくなることもあった。
ヨーガと産前クラスを開催
そのような居留区生活で、ロシアでの就労VISAを持たない私は、外国人の妊婦さんを対象に、週に一回ボランティアでヨーガと産前クラスをそれぞれ開くことにした。
ところが、どの方も安定期に入ると、自国へと帰って行ってしまう。生まれてくる赤ちゃんをロシア国籍にさせたくないのだそうで、間違ってもロシアで産まないようにしなければ、という彼女達の警戒感は鬼気迫るものがあった。イギリスの方はイギリスへ。スペインの方はスペインへ。インドの方はインドへ。フランスの方はフランスへ。北米国籍の取得が目的で、ブラジルやチリ、コロンビアなど南米の方はアメリカやカナダへ。アメリカの方はアメリカへ。。。と。
ロシアのお産に関わることはできなかった
これはドゥーラにはちょっぴり淋しい。もともとお産が好きで活動しているのに、これではお産そのものに関わる機会があらかじめない。ただ、ご主人を一人残してでも、飛行機に乗るリスクをしょってでも、故郷へと里帰り出産をしに行く彼女たちの辛い決断も身にしみて分かる。だから、ご縁があって一緒に過ごしたほんの数カ月でも、心穏やかに、異国ロシアでの妊娠生活が送れますように、と、おひとりおひとりに対して精一杯のまごころで私なりに尽くした。
現地のロシア人妊婦さんだが、ほぼ100%の施設分娩となる。ロシア語のほとんどできない私は、そのような医療施設でのお産にはまったくの邪魔者だ。我が家が親しくお付き合いさせて頂いたなかには、日本国総領事館の医務官の先生もいらしたのだが、分を心得て、施設見学の橋渡しをお願いすることすらも控えていた。とても興味のあるロシアのお産事情であったが、思った以上に拘束感のある社会では、正直、個人では調べようもないという感じだった。
見送る側から、見送られる側に
そんな経緯で、居留区で出逢う外国人妊婦さんの里帰り出産の無事を祈りながら、送り出す役目に集中することにした。知り逢っては別れる、その繰り返しにも慣れてきた頃、我が家が今度はアメリカへと転居することに!わずか一年での移動。夫には喜ばしい昇進とはいえ、家族にとってはなんと慌ただしい展開。
引越となると、次から次へとやることが波のように押し寄せてきて、毎回のことだが、国から国の移動は本当に苦労が多い。娘の転校先を決めなければならない。ヒューストンでの住む場所を探さなくてはならない。同時進行で、船便で出すもの、航空便で送るもの、スーツケースにて手で運ぶものを仕分けする作業がある。 あれやこれやしているうちにあっという間に時間がたち、妊婦さんを見送る側から、今度は自分が友人知人に見送られてアメリカへと出発する番に。。。
次号では黒海で海中出産した女性との出会いについて書いてみようと思う。
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木村章鼓(きむら あきこ)
英国在住のドゥーラ&バースファシリテーター
エジンバラ大学大学院 医療人類学(Medical Anthropology) 修士
約65カ国を訪問し、世界のお産に興味を持つ2児の母
「ペリネイタルケア」(メディカ出版)にて「ドゥーラからの国際便」を連載中
HP http://nomadoula.wordpress.com/