2011年8月12日夜、この原稿をアップした4日後、木村章鼓さんに男の子が生まれました。「とっても穏やかなお産で、家で、家族に見守られて、あったかいまどろみのなかで生まれました」と連絡をいただきました。おめでとうございます。(ママ・チョイス)
第27回 ‘命は自分のものであって、自分のものではない’という言葉が刻まれた杯が、次々と回されてゆくように(前編)
ここがアンテロープキャ二オンへの入り口。体を横にしてカニさん歩きで内部へと降りる |
実は、今にも生まれんばかりの赤ちゃんが私のお腹の中にいる。
2010年、秋のはじめ。テキサスに到着して、ホテルや小さなアパートでの仮住まいをし、その後、ひと月にわたる船便の荷ほどきが終わったとほぼ同時に、私は8年ぶりに妊娠したのだ。
ふたり目を授かる気配のないそれまでの道のり。不妊治療に対して根本的に疑問もあり、試すことはなかった。自然にしていて授からないのであれば、それはそれでいい、そう思っていた。
夫とは、こうしていい娘が一人でも授かったのだから、よくよく感謝しないとね、といつも話していた。
海外を転々とする、私のような外資系企業の妻は、一般的な日本企業とはかなり違っていて、ほとんど何の事前情報も教えてもらえぬまま現地の生活にいきなり放り出される。
友人や家族を心配させたくないので愚痴ることは滅多にないが、本当に大変なことも多い。こんな生活をしていたら、体がいくつあってももたない、と感じることもある。
だからこそ、今回宿ってくれたお腹の赤ちゃんは、そんな母体のストレスを乗り越えて来てくれた生命力の強い子なんだと感じる。
日本では3月に巨大地震が起ってしまって、津波に襲われ、多くの尊い命が天に召され、さらには原発問題に揺さぶられ、今も本当に大変な状況だ。
私たちヒューストンの日本人グループも、「ガイアシンフォニー」の映画上映会を開いたり、お寿司レッスンやお茶会を催したりして出来る限りの義援金活動に奔走している。
それでもまだ足りないような気持ちに襲われているし、故郷から遠く離れ、もどかしく思う日々である。この、すべてが困難に思える時期にやってきてくれた小さな命に私たち家族がどれだけ感謝していることか。
ホームバースを目指して、ベテランのアメリカ人出張開業助産師のサンドラさんに1月から定期的に診てもらっているとはいえ、私は震災直後、ヒューストンでの、義援金集めのチャリティー活動に忙しく、連日朝から娘の下校時間の午後3時まで出回っているという状態だった。慣れない土地での運転による緊張もあって、初期は頑張りすぎてお腹が張り気味のこともあった。
まわりを心配させた流産の危機も休養と水分をより多くとるようにすることで無事に乗り越え、今では安定し、昨日もおそらく産前最後となる超音波検診を受けてきた。現在、妊娠40週。これが掲載される頃には、もう赤ちゃんは生まれているかもしれない。
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木村章鼓(きむら あきこ)
英国在住のドゥーラ&バースファシリテーター
エジンバラ大学大学院 医療人類学(Medical Anthropology) 修士
約65カ国を訪問し、世界のお産に興味を持つ2児の母
「ペリネイタルケア」(メディカ出版)にて「ドゥーラからの国際便」を連載中
HP http://nomadoula.wordpress.com/