第33回 『天使さん、弟か妹を下さい』 ---7年ぶりの妊娠に思い当たること(3)
10年9月24日、天使が来ると教えられた日。娘と夫と3人で、それぞれの便箋に、それぞれの願いごとを一人ひとつずつしたためる。内容は見せ合わずに、各自できれいに折りたたみ、手順通りに封をし、暗くなる前に、目の前を流れる川の水辺から小さな白い花を数本頂いてきた。
つみたての野花はとても可愛らしい。一輪挿しに挿して、主寝室の一角に置いたキャンドルと封筒の横に飾る。
引っ越してきて一ヶ月もたたない主寝室にはスタンドライトがまだなかったので、娘の勉強部屋から電気スタンドを運び入れ、スイッチを入れる。
と、その瞬間、まさか!と目を疑った。寝室の角に置いたからか、左右の壁に翼のような影がゆら〜りと天井まで伸びたのだ。
電気スタンドの幹の部分はガラスで出来ていて、切子細工のような模様が入っている。その溝に光が差し込み、角に置いてあったせいで偶然にできた影。そう判ってもまだ心臓がドキドキしている。
それまで娘の部屋では窓際に置いてあったので、左右対称に天井まで伸びた影が翼のように見えたことなんて一度もなかった。それが天使を呼ぼうという今夜に限って、まさに天使のカタチに見えるのだから、ブルっと鳥肌が立った。好奇心で始めただけの儀式なのに意表をつかれてしまった。
その晩、10時30分きっかりに、手順書に書いてあった通りにドアを完全に開け放った。
さぁ〜っという風のうねりが部屋に吹き込んできた。
夫から、「なんだコレは?」と思ったと後になって聞かされた。本当に何かが入ってきて自分をかすった感じが彼にはしたという。
私は、‘今夜はずいぶんいい風だなぁ’と思った程度で、娘と家中をぐるりと見回す。何も変化は、ない。そのまま寝室に戻り、ろうそくの炎を3人でゆったりと眺める。
ベッドの上で娘を抱っこしながら「たぶん来てるから大丈夫だよ〜」と言いながら寝かしつけ、その天使のような寝顔に‘遅くまで起こしていて今夜はごめんね。
でも、他の誰でもない、あなたが我が家の天使なんだよ’と心の中で伝え、川の字になって眠った。
あれからおよそ一年半。逆算すると、その頃に芽生えた命が、現在8ヶ月になる息子ということになる。
‘アレ?もしかして、7年ぶりに妊娠できたのかなぁ〜’と思い始めたころ、娘が、例の願いごとの紙に『天使さん、弟か妹を下さい』と書いていたことを知った。
書いた時は「内緒!」と言って教えてくれなかったのに、ある日突然、「おかあさんの中に赤ちゃんがいる」と言い出したのだ。「わたしが天使に頼んだの!」と得意そうな彼女。
その表情をみていると、もしかしたら。。。なんて思えてくる。遊び半分で行なった儀式だったけれど、本当に天使が叶えてくれたのだろうか。
娘は、そうだ、と言い張る。自信を持ったその口調のおかげで、‘娘がガイドしてくれて、天使が授けてくれた命なら、きっとこのまま順調に育ち、無事に生まれてくるに違いない’、とこころの底から信じてお産を迎えることができた。
それにしても、夫の最初のリアクションにも感謝だ。無視するでも、笑い飛ばすでもなく、ひと言『面白いね』と彼が反応していなければ、その先の展開はなかった。
そう、誰かのちょっとしたひと言が、‘場’や、時にはすべてを変えることがある。
お産がそうだ。そこに居合わせた人のほんのひとことで、順調に進むものが進まなくなってしまったり、逆に、停滞していたものが好転していくことがよくあるものなのだ。
他にも、‘天使をご招待’してみて学んだことがある。
なにごとも、自分にとって価値があると思えれば、エビデンスがなくても取り入れてみればいい、ということだ。
お産について、それまでの私は、ケアの受け手としても、ケアギバーとしても、医学的根拠のないものをお産のケアに持ち込む自信があまりなかった。自分の直感を全面的に信じる前に、まずは頭で理解して、それに頼ってばかりいた。
でもこれからは、まわりの人にとっては何の意味もなくても、また、科学的には効果が証明されていなくても、産む当人が大事にしたいと思うことをこれまで以上に尊重したいという気持ちでいっぱいだ。
たとえば、日本では妊婦さんのからだを神社の御神木に見立てて、戌の日に白い腹帯を巻き安産を祈ってきた。欧米ではそれは奇異に感じられる風習らしい。だが、科学的に意味なし、のひとことで片付けられてしまうのをちょっぴり寂しく思う日本人妊婦さんもいる。
海外で日本人ママさんへのサポートをメインに活動している自分にできることはなんだろう・・・とあらためて考えていた時期でもあったので、なおさら、今回のことは学びになった。
なにより、天使が来たかどうかは別として、野花がリフレッシュしてくれた空間で、家族でろうそくの炎を眺めた静かなひとときが、今では忘れられない想い出となった。
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木村章鼓(きむら あきこ)
英国在住のドゥーラ&バースファシリテーター
エジンバラ大学大学院 医療人類学(Medical Anthropology) 修士
約65カ国を訪問し、世界のお産に興味を持つ2児の母
「ペリネイタルケア」(メディカ出版)にて「ドゥーラからの国際便」を連載中
HP http://nomadoula.wordpress.com/