子育てママの休憩室

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第29回【保育の今昔】

子育ても仕事もしたい

大和市の無認可保育所の園長が、園児をせっかん死させた容疑で逮捕された。まだ捜査中で詳細はわからないが、やりきれない気持ちでいっぱいだ。子どもを保育所に預けて働く私にとって、決して人事とは思えない事件である。

子育てしたい、仕事もしたい、女も、男も。そこで、私たちは子どもの預け先を求めて、保育所を訪ねる。一見、均等法時代の現代的な事情のように思うが、よく考えると、私の母も祖母も専業主婦ではなかった。

私の母は働いていたので、日中は、祖父母が私と弟の面倒をみていた。

では、もう一世代遡って、母が子どもだった頃はどうだろう。母の両親、つまり私の祖父母は農業を営んでいて、3人の子どもをみながらの共働きだった。

母が子どもだった頃

……だよね? と母に確認したところ、「えっ、これも共働きって言うの?」と疑問符を付けてきたが、農家の人たちは、今も昔も当たり前に「共働き」なのである。

母の話によれば、当時は保育園も幼稚園もなく、近所の子どもたちがみな兄弟のように一緒に遊んでいたらしい。それぞれ祖父母が身近にいたし、親たちも遠方に出勤するわけではないので目が届く。交通事故の心配がないので、田んぼや小川で自由に遊べた。遊具もテレビもないけれど、赤ちゃんのときから慣れ親しんだ自然の中で、親戚や近所の人たちみんなの手で、"のびのび保育"で育っていたのだ。

母の話を聞いて、今は難しい時代なのだなと思う。昔のような地縁血縁で結ばれた関係が薄くなっている分、私たちは、それを別の所に求めざるをえない。その場合、当然のこととして、国や行政のしっかりした管理やサポートが必要となる。しかし、それはあまりに当てにならないのだと、今回の事件の報道に触れて思った。次回も、「保育」について考えたいと思う。

第30回【保育園選びは難しい】

認可園と無認可園

大和市の事件以来、ますます保育園選びの悩みが深まった人、いるのでは?

私自身、上の子の預け先を求めて、無認可園を何軒も見て回ったことがある。認可園はいつも満員で、年度途中での入園はまず無理。そういう場合は、たいがい無認可園にまず入って、認可園の空席待ちをするのである。

ってことは、「認可園」がA級品で、「無認可園」がB級品? と思われるかもしれないが、必ずしもそうではない。無認可園の中には、園庭が狭い、夜まで子どもを預かっているなど、認可の条件をはずれてはいても、質のいい保育をしている園も多いのだ。

ただし、保育料は割高である。また、届け出の義務がないため、金儲け第一のいい加減な業者でも、フリーパスで開業できてしまう(神奈川の場合)。例の事件をきっかけに、制度の見直しがされつつあるようだが。

どんな条件を大事にする?

さて、私の保育園見学行脚の話に戻ろう。

私の希望は、こじんまりしていて自由な雰囲気、お弁当を持参できる、おやつはシンプルなもの、先生が穏やかで、個々の子どもによく関わってくれること、など。

また、私はフリーで仕事をしていたので、まずは週3回で1日数時間、というスタイルから始めたい。それが可能なところというのも条件だった。園庭の有無や日当たりなど、言うときりがないので、自分が大事にしたい条件を優先して考えた。

7カ所くらい回った。見学にいくと、たいていはにこやかに質問に答えてくれる。これはひどい、と一目瞭然の園はないのだ。ただ「なんとなく暗い」「子どもがおとなしすぎるみたい」などと、ちらっとでも思うと、もうダメ。迷いに迷って、また振り出しに戻ったりしたっけ。

今思い出しても頭が痛い。難問なので、次週は他の人の手も借りて、もう少し考えてみようと思う。

第31回【子どもたちの心の痛みに気づいて】

園長先生が話し合ってくれない

保育園選びは難しいと、先週書いた。子どもを保育園に通わせながら、なお園と信頼関係がもてない場合は、さらに深刻だ。

このコラムの読者や知り合いから聞いた不満を、いくつか紹介すると……

保育内容や保育料の使途を公開してくれない、子どもへのおしおきが目に余る、園長先生が話し合いに応じてくれない、福祉事務所に相談しても解決できない、など。

中には、「認可園なのにまさか!?」と驚いてしまうような話もあった。認可園は行政の基準を満たしていて、監査も入っているから大丈夫と、親は安心して子どもを預けているのに、残念なことだ。もちろん、保育園の方にも言い分があるだろうから、ここで一方的に断罪するつもりはない。ただ、保育園は何事もオープンに、そして行政は親が納得するまで調査や指導をしてほしい。それが、私たち親の切なる願いだ。

泣いて嫌がるとき、なぜ?

保育園・幼稚園情報を特集したことがある、子育てタウン誌「ままとんきっず」の代表・有北いく子さんに、保育園選びについて聞いた。

「すでに通わせている親に聞くといい。"手作り給食"とチラシに書いてあっても、実際には仕出しだったりすることもあるから」

確かに「手作り」「家庭的」「のびのび」などの言葉は、解釈の仕方が広いから、クセモノである。「泣いて嫌がるときは、原因を考えてみて。そのままにしておくと、子どもはあきらめてしまうから」

子どもは親の期待に応えようとする動物だ。たとえお茶に毒が盛られているとわかっていても、親にすすめられれば飲むだろう。親だけが、生きていくよりどころなのだから。だからこそ、子どもたちの心の奥の痛みに、敏感にならなければ、と思うのである。

第32回【子どもの生活の場としてふさわしい保育園を】

あくまで主体は親なんだけど

先週コメントをもらった、地域の子育てタウン誌「ままとんきっず」代表の有北いくこさんとの保育談義は、まだ続いた。「預けてしまえば、あとは保育園にお任せ、っていう人が多いじゃない? 行政の言葉を借りれば、『保育に欠ける』子どもを預かるのが保育園。あくまで主体は親なんだけどな」と有北さんは言う。

保育料を払って子どもを見てもらう。幼稚園も同じことだ。一見、サービス提供者と消費者の関係である。3時間分の保育料を払ったら、その間の子どもの生活を切り取って託すということ? ……ちょっと待って。そういう意識をもった途端、子ども不在になってしまう。

保育園で過ごしている時間も、実は親が責任を持つべき子どもの生活の一部ではないか。子どもたちが、どう過ごし、何を思い、泣き、笑っているのか、私たちは関心を寄せなければ。そして、不満や希望や感謝を伝えなければ。そのやりとりがスムースにいっていれば、子どもは親と離れても安心していられるような気がする。「信頼して任せる」というのは、違う。信頼しているからこそ、任せてしまわないで、よりよい保育を互いに模索していけるのでは?

親の都合ではなく

今、民間でさまざまな保育サービスが展開されつつある。保育サービスをお金で買い、"おまかせ"にする親が増えてしまったら、アブナイ保育園が横行することになりかねない。

有北さんは、こう言う。「子育てを援助するシステムは、もっともっと必要だと思う。でも、簡単に預けるのは考えもの。子どもはいい迷惑なのでは?」

親の都合よりも、子どもの生活の場としてふさわしいところ。それが保育園を選ぶときの最低条件だ。

第33回【ままも(う)だいじょぶだよ。えりより】

文句のオンパレード

10月上旬に出版する、妊婦さん向けの本作り真っ最中である。

1〜2週間に1度、監修の産婦人科医・井上裕美先生(湘南鎌倉総合病院)を訪ねて、原稿を見ていただいている。外来が終わってから始めるので、うちにたどり着くと子どもたちはとっくに夢の中だ。

つい先日、これで最後という打ち合わせの日のこと。

朝ご飯のとき、
「今日は井上先生の病院に行くお仕事だから遅くなるね」
と話したら、すかさず5歳のエリのブーイングが始まった。

保育園に行く道すがらも、
「プールはお休みする」
「3時に迎えに来て」などと、文句のオンパレードだ。

保育園に着いて「じゃあね、行って来まーす」と言うと、今度は抱きついてしくしく泣き出した。どう取りなしても離れないので、先生にバリバリッと引きはがしてもらって、後ろ髪引かれつつ保育園を後にした。

これが「3才児神話」?

同じ本の取材で、小児科医・堀内勁先生(聖マリアンナ横浜市西部病院)に、興味深い話を聞いた。

「2歳くらいまでは、今の状況を過去と照らし合わせて見ることができない。だから、赤ちゃんにとっては、お母さんが1分間トイレに行くことと、死ぬことと大差ないんですよ」

なるほど。シュウヘイが3歳近くなって、やっと私と離れて保育園に行くことに慣れてきたのは、そういうことなのか。

一方、エリの方は、とっくに頭の中で過去と未来を行ったり来たりしているわけだ。

“ママは、この前みたいに遅くなるのか。寝るときもいないんだ。シュウヘイのわがままを少しは引き受けないとパパに怒られるしな。あー、やんなっちゃう”などと滅入っていたのかな。

そんなことを考えながら帰宅したら、パソコンの上に、保育園の先生とエリの手紙が置いてあった。

「ままも(う)だいじょぶだよ。まますきだよ。がんば(っ)てね。えりより」

第34回【ハンカチで楽しい遊び】

電車の中で子どもを飽きさせない工夫

電車にのってお出かけ、楽しいですよね。

私たちは、昨日、鎌倉の大仏様に会ってきた。
子ども連れのお出かけは、行きはよいよい帰りはなんとかで、疲れて眠くなった頃がキョーフである。

以前、インターネットで「電車に乗っているとき、子供を飽きさせない工夫は?」というアンケートをとったことがある。一番多い回答は、おもちゃ絵本、お菓子、お絵かき帳などを持参するというもの。手遊び歌やしりとりで遊ぶ、窓の外の景色に子供を引きつける、なども定番だろう。

「できるだけかわいいお姉さんの横に座ると、眺めているうちに時間がたつ」
というのもあった。私もよく使う手だ。女子高生の際限ないおしゃべりに、子供たちはなぜかうっとりしてしまうらしい。
「ただ触りたがるので要注意」。
そうそう、そうなのよ。

ハンカチで作るネズミ、おっぱい

さて、鎌倉からの帰途、隣に座ったお姉さんは読書中。シュウヘイが身をよじって笑ったりすると、本から目を上げて「迷惑」のサインを出してくる。

まずい。

子供たちを静かにさせる魔法のつえはないかな、とポケットを探ったらハンカチが一枚出てきた。そうだ、ネズミを作ろうよ。

三角に折って、くるくる巻いて・・・知ってますか?子供のころ、よく祖母が作ってくれたっけ。

「ねぇ、おっぱい作ろうよ。」と、今度はエリの提案で、ハンカチを観音開きに畳んで・・・。最後にキュッと引っ張ると出来上がり。

エリが胸に当てると、シュウヘイがチューチュー吸い始めた。斜め前に立っている五十代くらいの女性が笑って見ている。

そういえば、アンケート回答の中に「ハンカチでウサギやタコを作る」というのがあったが、作り方を教えてほしいなぁ。

第35回【キャンプの魅力って?】

木や川に囲まれてせいせい

「お嬢ちゃん、えらいなぁ」
キャンプ場の炊事場でお皿を洗っている娘に、七十歳くらいのおじいちゃんが声をかけてくれた。

ここは道志村。神奈川県民に飲料水を届けてくれている道志川をさかのぼり、県境を越えて山梨県に入ったあたりだ。家族四人、テントで眼を覚まし、炭火をおこしてご飯を炊き、昨日の残りのカレーを食べた所である。

「キャンプは子どもたちにはいい経験だよ。それに、木や川に囲まれているとせいせいするね」

先ほどのおじいちゃんが、今度は私に向かって言う。まったく同感である。

キャンプでやっているのは家事なのに

一昨年まで、夏のレジャーといえば、どこかの温泉場に公共の宿をとり、近くの観光地をうろうろしていた。何がうれしいって、炊事も片づけも掃除もしなくていいこと。人が作ってくれたご飯は、どんなにマズくてもありがたい!と思っていたはず、なのに・・・。 キャンプに来てやっているのは、「家事」にすぎないのだが、不思議と楽しい。

「やだーっ、着火剤を忘れちゃった」と私が言えば、「それっ」とみんなで木の枝を探したり、うちわであおいだりと大忙し。どこのテントでも、お父さんもお母さんも子供たちも、若者のグループも、総出で働いている。普段見えない生活の成り立ちを、一つ一つ確かめているみたいだ。

それに、火を眺めたり、川につかったりしているだけで気持ちいい。そういう行動パターンが、遺伝子に入っているのかな。

でも、帰りにテントを畳みながら、ふとつぶやいてしまった。家も水道もガスもあるのに、なんでわざわざこんなことしているんだろう。

「そうだよなあ」と夫。娘は「あーあ、もう夏休みも終わりかあ」なんて、大人みたいにため息をついている。数日間の非日常、ってのがキャンプの最大の魅力なんだよね。きっと。

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著者プロフィール
西井紀代子(キヨ)。当ホームページ・ままメルを運営するママ・チョイス代表。1994年生まれのエリと1997年生まれのシュウヘイの母です。子どもたちが5歳と2歳のときにエッセイの連載を始めました。子どもたちに言わせると「ぜんぜんかまってくれない」面倒見の悪い母。まったくその通り、の私です。