3人目がやってきた!

第34回 子どもはしょっちゅう病気をする生き物である

始まりは、プール熱

イーっ
ある朝、起きたら前歯が抜けていました。ナツに「イーってして」と言ったらこんな顔に(笑)
ユリ
1つの球根からユリの花が5つも咲きました。球根は植えておくだけでいいので、不精の私でも咲かせることができます

ナツが熱を出して学校を休んでいる。今朝「頭が痛い」というので熱を測ると37.5度。

ヨーコ「ナツはどうしたい気分?」
ナツ 「寝ていたい」
ヨーコ「わかった。じゃ、学校はお休みしようね」
ナツ 「うん」

多少熱があっても、学校は休みたがらないほうなので、よほど体調がすぐれないのだろう。だるそうに布団に横たわっている。

ここ2、3週間、子どもの病気続きだ。最初はアチャだった。保育園から「アチャちゃん、お熱があるのでお迎えに来てください」と電話があった。病院に連れて行くと、

お医者さん「プール熱ですね。まだ熱は高くないようだけど、これから上がるでしょう」

医者に言われたとおり、熱はどんどん上がり夜には40度になった。子どもの熱はあっというまに高くなる。39度、40度になることも珍しくない。最初は驚いたけど、何度も経験するうちに少々の熱ではトシも私も慌てなくなった。一度熱を出したら「3日」は下がらないと覚悟する。

アチャと過ごす3日間のスケジュールを立てよう。ここは夫婦の連携プレーが大事。休める仕事、休めない仕事、欠席できる打ち合わせ、できない打ち合わせ、いろいろな条件をつき合わせて、予定を立てていく。ときにはおばあちゃんの助けも借りる。今回はトシと私とで何とか3日間のめどがついた。翌日からアチャは予定通り(!)3日間保育園を休んだ。土日あわせて5日間ゆっくりと過ごし、月曜から元気に保育園に登園した。

おっぱいで水分補給

まだハイハがいい
靴を履かせてみたけど、まだハイハイのほうがいいらしい
赤ジャガイモ
ナツとアチャが掘ってきました。サツマイモに見えるけど、赤ジャガイモです

アチャがよくなったと思ったら、次はシュンが熱を出した。熱に気づいたのは真夜中。隣で寝ているシュンの体に触れたら熱い。熱はかなり高そうだ。この日の朝からトシは泊まりの出張に出かける予定になっている。今日は私が仕事を休むとして、明日はどうしよう。ナツとアチャを起こさないように気をつけて、熱のあるシュンの体を冷やしたり着替えさせたりしながら、考える。私1人ではやりくりするのは難しいと判断。

外はまだ真っ暗で、夜明けまでは時間がある。朝になるのを待っておばあちゃんに電話して、手伝いに来てもらおう。そう決めて、私も少し横になった。シュンも朝まで眠ってくれるといいなあ。

調子の悪かった私のおっぱいは、その後何度か助産婦さんのマッサージに通い、すっかりよくなった。一時は乳首を吸われると飛び上がるくらい痛くて、「もうおっぱいやめたい」と本気で断乳を考えたくらいだったが、やめなくてよかった。

熱を出したシュンは、眠りながらおっぱいに吸い付いてくる。おっぱいさえ飲めればとりあえず水分と栄養の補給ができる。小さい子どもの嘔吐や下痢、発熱時にこわいのが脱水症状だ。こういうとき、おっぱいは威力を発揮する。何より、具合が悪いときにお母さんがそばにいるだけで、子どもにとっては安心なはず。シュンも発熱のため体内の水分がどんどん失われているのだろう。朝まで頻繁におっぱいを吸っていた。

風邪、擦り傷、皮膚の病気・・・

ひまわり
かわいらしいひまわりがたくさん花を咲かせ、小さな庭もにぎやかです。大きくならない種類のもので、花の直径は10センチくらい

シュンが回復したと思ったら、今度はナツ。まるで発熱のリレー状態。

子どもというものは、しょっちゅう病気をするものなのだとナツを産んでから知った。一度風邪を引くとなかなか治らない。夏も冬も関係なく、年じゅう鼻水を出しているような状態だし、すり傷も絶えない。皮膚の病気も多い。冬は肌が乾燥してかゆみが出るし、夏になると、とびひや水いぼに悩まされる。

アチャが1歳のときにかかった「とびひ」はとくにひどかった。とびひは、小さな傷から菌が入って肌がやけどのようになり、それがどんどん広がっていく病気だ。かゆがって掻きこわし、体じゅうに広がってしまった。とびひの部分をガーゼや絆創膏で覆うことができれば保育園にも登園できるが、頭や顔にも広がって、覆いきれなくなった。

保育園から「お迎えに来てください」と言われて迎えに行ったときは、帰り道、涙が出て止まらなかった。私とアチャだけが取り残されたような孤独感でいっぱいだった。夜はかゆみで寝付けないアチャをおんぶして散歩した。完治するまで1か月かかった。長い長い日々だった。

病気を知ることが肝心

病気をひどくさせてしまった原因の1つは、私たちがその病気のことを知らなかったことだと思う。「とびひ」という病気を知らなかったため、「何だろう」と思っているうちに悪化して、治療を始めるのが遅れてしまった。

初めてナツが「水いぼ」ができたときもそうだった。「あれ、こんなところにポチっと何かできてる」と思っていたら、そのうちどんどん数が増えた。医者に連れて行ったら、1つ1つピンセットでつまんで取られた。ナツは痛くて泣いた。こんな痛い思いをさせるなら、もっと早く連れてくればよかったと後悔した。
あとで調べてみると、「水いぼ」は放っておいてもいいとか、数が少ないうちに治療したほうがいいとか、医者によって治療方針が異なることが分かった。治療するとしてもいくつか方法があることも分かった。医者まかせにせず、親の責任で判断するのが大切なんだと思った。

ついこの間、シュンの腕に水いぼらしい発疹を1つ発見した。

ヨーコ「このままにしておいちゃだめかな」
トシ 「増えないうちに取ってもらったほうがいいよ」

仲良くすべり台
シュンのために用意したすべり台ですが、ナツとアチャも楽しんでいます

トシと相談して、治療してもらうことにした。今度のお医者さんは液体窒素でいぼを焼いてくれた。痛くなかったらしい。シュンがきょとんとしている間に治療は終わった。よかったよかった。

私の母がよく言っていた。「あなたたちが小さい頃は、病院通いが大変だった」と。今になってその言葉の意味がよく分かる。母が私たち子どもの健康を願い、愛してくれていたこと、それから、子どもはよく病気をする生き物だということを実感する日々である。

ナツの熱は夜には下がり、だいぶ元気が出てきた。今日は金曜。土日ゆっくり過ごせば、きっと月曜からは元気に学校へ行けるだろう。

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著者プロフィール
著者
根本陽子(ヨーコ)。1997年、初めての子どもを妊娠し、自分の望む出産を求めて情報を集め始める。これがきっかけとなり、「お産情報をまとめる会」(下記参照) のメンバーとなる。助産師さんに介助してもらい、長女は水中で、次女は陸で、3人目は再び水中で出産。長女の出産を機に勤務していた研究所を退職。その後フリーランスで辞典の執筆、英語講師、日本語教師、中学校の国語の講師など「ことば」に関する仕事をいろいろして、現在に至る。家族は、片付け好きで子どもの保育園の送り迎えも引き受ける夫・トシ、お姉ちゃんらしくそこそこしっかり育つナツ(小学5年)、自由奔放に心のおもむくままに育つアチャ・(小学2年)、そして2005年5月に生まれたシュンとの5人家族。(写真は、アチャが赤ちゃんだった頃のヨーコ)
お産情報をまとめる会
わたしのお産サポートノート
神奈川県と東京都町田市の産院情報「わたしのお産」、第二の母子手帳「わたしのお産サポート・ノート」を編集した、お母さんグループ。「サポート・ノート」は自分のこと、おなかの赤ちゃんのこと、医師・助産師との対話などを書きつづりながら妊娠生活を送るための本。ヨーコはここで、自分自身の記録を大公開しつつ、出産に向かう(実際の書き込み欄は小さくて、だれでも簡単に記録できるものです)。